zames_makiのブログ

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開闢(1991韓国)日清戦争を農民視点で

=虐げられた民衆の失敗した蜂起を描く。日本批判ではない。民衆の幸福追求という時代と国を超えた普遍的テーマ。

感想

日清戦争の契機となった東学党の乱(甲午農民戦争)の指導者である海月を主人公に朝鮮近代史を描く歴史映画。東学党の視点だが感情的でなく冷めた視点で、外国に支配され政府(朝鮮王)に裏切られる朝鮮民衆の苦しみを描く。画面は東学党二代目教祖海月が政府から追われ、ぼろを着て朝鮮の野山を逃げ回る場面、海月の妻や子が拷問され苦しむ場面ばかりだが、同時に朝鮮が日本や西洋列強からの侵略を受けていく経緯がナレーションで説明され、全体として苦しむ朝鮮民衆の姿が描かれる。
 東学党は平等主義、平和主義だが同時に日本や西洋の排斥を訴え、民衆擁護とナショナリズムを基盤に当時の民衆に広く広まったようだが、映画は平等主義、一種の徳による幸福を強調している。2代目教祖は暴力による政府への抗議を最後まで認めず、政府への反乱は仕方のない経緯で命じている。一方腐敗した朝鮮王朝や侵略を目指す日本・西洋のあり方からはこうした暴力による抵抗が必須である事も画面経緯から了解できる。アラブの春や未だ実質的なアメリカ占領下にある日本を思えば、こうしたナショナリズムや人権主義(平等、平和で十分に食べられる生活という庶民の幸福)が大事であるのに、それらが未だ実現せず、時代と国を超え、この映画で描かれる事件が日本人に訴える所は大きいように思われる。
 映画は、主人公海月が1860年ころより30年以上も迫害を受ける姿を延々と見せ、最後には1894年に東学党の乱のなか、政府=日本軍にとらわれ死刑になる様子で終わる。ラストシーンは絞首刑になる海月とそれを見て悲しむ妻や民衆の姿であり、哀号で代表される朝鮮人的感情=恨み、悲しみが前面にでた映画であり、その点でも韓国的映画と言えよう。
 西洋人や日本軍の登場場面は少なく、日本軍による朝鮮人虐殺(=東学征伐)はほとんど言及されていない。主人公海月を追うのは、朝鮮人であり、映画中では朝鮮王朝に雇われ二代に渡って追跡をする捕校が描かれている。しかし1代目の捕校は朝鮮王朝役人からスパイと疑われ拷問死し、2代目捕校は圧倒的な東学支持者の多さにより海月の居場所は公然の事実となり、自分のしてきた事の無意味さを突きつけられ、最後の海月暗殺も逆に海月から哀れまれるという、徹底的な否定として描かれている。映画は台詞や歴史的な事実説明では東学党や海月を、まったく誉めていないが、その視点は明らかに東学の側にある。

出演:

イ・ドックァ(李徳華):ヘウォル(海月)=主人公、東学の2代目指導者、迫害する政府から30年以上逃げ回りながら教えをすすめ、勢力をますが、最後は絞首刑になる。3人の妻をとる。
イ・ヘヨン(李慧英):ヘウォルの妻(ソン氏)、大変な美人だが不幸な犠牲者。海月のために尽くし同行するが捉えられ拷問で体を壊す。4人の娘はいずれも不幸な末路で離ればなれとなる。海月は自分が助かるのが精一杯でなんの救済もない。数年後やっと海月に追いつくと既に二人目の妻を迎えており、余計者扱いとなる。

以下はコリアキネマ倶楽部HPよりコピー

http://homepage2.nifty.com/taejeon/kaiho/kaiho-117a.htm
[原題]ケビョク(開闢) [英語題]Fly High Run Far - Kae Byok 1991年 韓国公開:1991年9月21日(日本では未公開と思われる) 韓国動員:46,000人 上映:146分制作会社:チュヌ(春友)映画(株) 制作:ハン・ヨンス 脚本:キム・ヨンオク 監督:イム・グォンテク(林權澤) 撮影:チョン・イルソン(鄭一成)

[受賞歴]
1991年第29回 大鐘賞/優秀作品賞/主演男優賞(李徳華)/照明賞/芸術賞/特別演技賞
1991年 第12回 青龍映画賞/監督賞
1991年 第2回 春史映画芸術賞/監督賞,男優主演賞(李徳華)
1991年 第36回(台北)アジア太平洋映画祭/美術賞(ト・ヨンウ)
[映 画 祭] 1993 アジアフォーカス・福岡映画祭'93 上映


参考:「東学」は,1860年慶尚道慶州の没落両班出身のチェ・ジェウ(崔済愚1824〜1864)が唱えた民集宗教。民間信仰を基礎に儒教,仏教,道教などを取り混ぜた独自の宗教で,キリスト教の「西学」に対する東方の朝鮮の学という意味で,「東学」と呼ばれた。教義は,「斥倭洋倡義」(日本と西洋を排斥して朝鮮の大義を守る。)


概要:李氏朝鮮時代末期の”東学党の乱”を描く歴史大作。1864年4月,東学の創始者チェ・ジェウ(崔済愚)=スウンは,「民衆を惑わせた」として打ち首になる。2代目の教主チェ・シヒョン(崔時亨)=ヘウォル(海月)は,迫害による逃亡生活を続けながら東学思想の布教活動を続け,官僚制度に苦しめられていた民衆の心をつかみ始める。東学思想をアジアの民主主義の先駆けと位置付けて描かれる壮大な叙事詩

あらすじ

<第1部>
▼東学を起こしたチェ・ジェウ(崔済愚=スウン)が死刑に処せられ,2代目教主のチェ・シヒョン(崔時亨=ヘウォル)は,朝廷からの逃亡者となる。テグ(大邱)のパク捕校に追われたヘウォルは,チュクビョンに潜伏して組織を再建し始めるが,そこでパク捕校による襲撃にあってまた身を隠す。
▼東学は,丙寅洋擾(江華島事件)によってより一層苛酷な弾圧を受けており,道人(天道教徒)たちは,スウン先生の4周期追慕式で東学をより一層確固たるものとして組織を育てる。
▼ヘウォルは,イ・ピルジェから東学の乱を起こす勧誘を受けるが,これを拒んで教祖の伸寃(恨みをはらすこと)を嘆願するというイ・ピルジェの誓いで道人の通院を許諾する。しかし,イ・ピルジェは,むしろ乱を起こし,東学の根を揺さぶろうという。
▼パク捕校は,密偵として乱に参加するが,官衙の拷問を受けて亡くなり,彼の息子は,ヘウォルの死を誓う。
▼イ・ピルジェの乱で,ヘウォルの夫人と子供たちは官衙に捕まり,拷問を受けてばらばらに散在するようになる。大院君は,辛未洋擾で鎖国政策を繰広げ,イ・ピルジェは処刑される。
▼ヘウォルは,テベク(太白)山の赤潮岩で隠遁生活をするが見つけられて逃亡し,露宿を求めた家で越冬したり,いろんな地域を巡たりして,東学を伝播し開闢を知らせる。そして,ヘウォルは,道人たちのために2人目の夫人を迎える。

<第2部>
▼ヘウォルは,道人たちのおかげで第1夫人に会い,家族の消息を聞く。第2夫人が亡くなり,第1夫人を訪ねたヘウォルは,病気看護をしながら東学を伝播する。そして,62歳の時に3番目の夫人を迎え,第1夫人の病気看護を任せてホナムを訪ねる。
▼東学の組織は,民衆の信頼を得て,より一層大きくなり,東学の指導部は,教祖伸寃を要求して光化門で複合上訴をする。その上疏文は受入れられるが,腐敗した朝廷と蛮夷が闊歩するソウルを正しいと思わない東学の指導部は,3月11日に集会を強行する。
▼ヘウォルと指導部の開闢には,意見の相違が存在するようになり,ヘウォルは,朝廷の官僚と交渉をするが,朝廷の腐敗と逼迫した生活で不満が溜まった民衆は,乱を起こす。
▼日本軍のソウル進入で始まった日清戦争で朝廷は敗れ,日本軍と官軍は,東学を弾圧する。これに対し,チョン・ボンジュン将軍は動員令を訴えるが,ヘウォルは,東学の本来の意味を抜け出すという理由で蜂起を命じない。
▼しかし,進退両難に陥ったヘウォルは,時代の流れを拒めず,蜂起を命じる。日本軍と大々的に戦った東学軍であったが,新式武器のため完全な敗北を味わい,東学の指導部たちは,逮捕されて処刑される。そして,ヘウォルも東学人の密告により捕まり,絞首刑に処せられる。