宮崎駿引退に思う事
2013年9月2日、新聞に「宮崎駿が引退」とのニュースが出ている。何度もそういう話はあったが今度は本当だろう。
なぜなら何せ「風立ちぬ」の出来があまりに酷かったからだ、宮崎駿は普通の演出家なら当然工夫して描いただろう、戦争に関するまじめな描写を全て排除して、かといって完全な虚構世界であるファンタジーで飛行機と自らの関係を描くだけの能力はなく、その結果単調で盛り上がりに欠けるつまらない映画にしかできなかった。その大本の原因は自らの兵器オタクとしてのわがままを通したい為であり、これは自分の好みを制御できない「老害」「老人のわがまま」の現れである。宮崎は老いたがため我慢ができず、若い時より無能になってしまうという例だ。
もし宮崎がもっと若ければ「風立ちぬ」でも、自らの兵器オタク=兵器愛という傾向と、その思想傾向=平和主義&戦争批判に折り合いをつけ、両者を混合し昇華して、複雑かつ感動的な戦争反対のアニメを作っただろう。だが才能の枯渇した老人である宮崎にはそれはできなかった。
今こうしてフィルモグラフィを並べなおすと、実質的には「もののけ姫」で宮崎の才能は終わっていたように感じる。その後の「千と千尋の神隠し」では物語の筋道が混乱し、基本的なテーマが見えなくなっている。「ハウルの動く城」では何がテーマだったのか結局不明だ、「ハウル」では物語は設定から自然に動き出す展開に導かれるだけで、構成された話にならなかった。結局、物語の行き着いた先は何だったのか?監督自身にも不明なままだったのではないだろうか?
私は宮崎駿のアニメは「風の谷のナウシカ」から全て公開時に劇場で見ている、世間の期待がまったくない状態で「風の谷のナウシカ」を、幼児の走り回る場末の劇場で一人感動にふけりつつスクリーンを見たのが今となっては懐かしい。その後も「もののけ姫」までは物語自体に感動したが、それ以降の作品では物語はファンタジー世界での些末なあれこれに終始し、宮崎の主張=言いたい事は払底したように見えた。主張のないファンタジー作品に関心はない、なぜならそれは悪い意味で「おとぎ話」であり、観客に何ももたらさないからだ。私にとってそれらの作品では金を払う価値のあるものは美術や純粋に演出的な技法面だけだった。
かつて宮崎はディズニーアニメを批判し「ディズニーは入り口が低くて広いのがよいが、出口も低くて広い、私は入り口は低くて広いが、出口は高くて狭いものを作りたい」と作品でのテーマ性を重要視していた。だが「ハウル」以降の宮崎作品は、出口をどこへ向かって作ればよいか、宮崎自身がわからなくなり、ディズニーと同じ「広くて低い」出口になってしまったように思う。
「ハウル」で自身の限界を知った宮崎は作品の全てを担う監督はやめ、企画・原案・脚本でお茶を濁したが、それでは結局収まらず「風立ちぬ」でわがままし放題で大失敗をした後でついに引退となった訳である。という訳で宮崎駿の引退のニュースには、なんの感動もない。
・・・ただ上記で抜けているのが「崖の上のポニョ」だ、これはお話展開としても面白い、宮崎的ファンタジー世界が巧くゴールまで行き着いた例外に感じる。「風立ちぬ」でもファンタジーとして、物語を展開して、うまくどこかへ行き着ければ、まだ宮崎の創作者としての存在価値はあったかもしれない。
だが結局宮崎は失敗作を後に映画製作の一線を去るわけだ。遅すぎたったろう。
宮崎駿フィルモグラフィ
- ○1979.12.15 ルパン三世カリオストロの城 東京ムービー新社 =素晴しい演出、アニメオタクの男性に受ける展開
- ○1992.07.18 紅の豚 徳間書店=日テレ他 =戦争を背景にした飛行機による活劇と男のロマン、東映なら××シリーズとして何作も同様な映画を作っただろう、しかし宮崎は旧ユーゴの紛争を知ってこのテーマを自らに禁じる
- △2001.07.20 千と千尋の神隠し スタジオジブリ=日テレ他 基本は河川汚染という環境テーマだったはずだが、途中で少女の成長譚になり、最後はよくわからない話になった、美術や物語世界の設定は素晴らしい。すごい大ヒットになりその巨額の金が宮崎駿の作家としての死を決定づけたのかもしれない。誰にでも受け入れらる作品が必須となったからだ。
- 2002.07.20 猫の恩返し 企画
- △2004.11.20 ハウルの動く城 製作委員会 テーマが不明、結局どんな話だったか言えない、ただイロイロあっただけ、美術はよろしい