zames_makiのブログ

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十六歳(1960)パンパンの婉曲描写

製作=日活 公開:1960.10.01 8巻 2,612m 白黒 日活スコープ
企画:坂上静翁 監督:滝沢英輔 脚本:三木克巳 原作:打木村治「十六歳」(講談社・1959年) 音楽:佐藤勝
出演:
浅丘ルリ子(玉川せん子)高校生、家にパンパンが下宿、先生と恋愛し強姦され、娼婦になるが、米軍トラックにひかれて死ぬ
殿山泰司(その父・玉川金造)トリ小屋をパンパン用下宿に改造
山岡久乃(その母・玉川タネ)
渡辺美佐子(パンパン・旗美加代)理想化して描かれているパンパン
長門裕之(高校の先生・本間節郎)教え子である主人公を強姦する
葉山良二(高校の先生・中根有治)教え子である主人公に言い寄る

基地周辺の農村。玉川せん子は中学の三年生で、バドミントン部のキャプテンをしている。父親の金造は納屋を改造し、オンリーの美加代に貸していた。せん子は、彼女の派手な生活がなんとなくうらやましかった。ある日、美加代がドライブに連れていった。旦那フィッシャーも一諸だった。抱きあう二人をせん子は好奇な目で眺めた。−−せん子はラケットを買うため茶摘みのアルバイトをした。部長の中根先生がそんな彼女をいじらしく思い、ラケットを買ってやると約束した。そして、ある夕、二人は抱き合った。同じバトミントン部の本間先生も彼女を狙っていた。せん子は大会に優勝したが、部を辞めなければならなかった。美加代たちが家を出ていったので、家の状態が苦しくなったためだ。卒業と同時に就職することになり、本間がコネをつけてくれることになった。下宿を訪れたせん子は、体を奪われた。彼女は東京の工場に勤めた。本間の子を宿した。本間は堕ろせと言った。せん子は家へ帰ることもできなくなった。キャバレーに働く美加代を訪ねた。話を聞いた美加代は、中根に言った。彼女を救えるのは先生だけだと。中根は本間を殴って学校を辞めた。本間もクビになった。暗い夜霧の中を、中根は荷物を自転車に乗せて運んでいた。側を軍用トラックが通りすぎる。そのライトの中に毒々しい化粧の女が立っていた。せん子だ。彼女は逃げた。その時、横からトレーラーが疾走してきてせん子を轢いた。中根は彼女を激しく抱いた。彼女の死顔は美しかった。

打木村治(作家)

打木村治(うちきむらじ/1904〜1990)は武蔵野の面影が残る埼玉の自然や風土をこよなく愛し、作品にもよく描いた作家である。昭和3年に早稲田大学を出て大蔵省の税務官吏となるが、作家志望の気持を抑えがたく、わずか5年で依願退職している。そして、退職した昭和8年に同人誌「作家群」を創刊主宰して文筆活動を始めた。プロレタリア文学が解体し、政治性や階級意識から人間を中心に据えた農民文学が隆盛となる時代である。その気運の中で、打木は社会的に虐げられている農民や女を主人公にした作品を書いた。
 戦後の打木村治は所沢市飯能市に住み、一転して児童文学作品をたくさん書いた。打木に所沢市ゆかりの作品はほとんどないが、米軍基地を背景に、せん子という多感な少女を主人公にした長編『十六歳』(昭34)の舞台が「T市」となっており、戦後初期の所沢市と想定できる。この作品は35年安保闘争の年に、当時の日活で映画化された。

米軍所沢基地

現在は米軍所沢通信基地(空軍)、1945年までは陸軍所沢飛行場、戦後米軍は武器庫に転用?

  • 1945年(昭和20年)9月 - アメリカ軍が陸軍所沢飛行場を接収。所沢飛行場総面積360haのうち約300haをアメリカ軍施設として使用開始。
  • 1952年(昭和27年)7月26日 - 日米安保執行後、所沢兵器分廠(Tokorozawa Ordnance Sub-depot)としてアメリカ軍に提供。
  • 1954年(昭和29年) - 府中兵器廠(東京都府中市)司令部が所沢に移転。
  • 1955年(昭和30年)2月 - 所沢兵器廠(Tokorozawa Ordnance Depot)に名称変更。
  • 1957年(昭和32年)3月15日 - 組織上の名称が変更される。アメリカ陸軍在日兵站補給廠(U.S. Army Logistical Depot Japan)となる。
  • 1975年(昭和50年)9月 - 柏通信所(千葉県柏市)から短波無線送信所機能が移転。空軍通信サービス(AFCS)第1956通信群(1956CG)が運用開始。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 所沢補給廠から所沢通信施設に名称変更(政府間協定)。