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韓国内外の学界で再び脚光浴びる満州

朝鮮日報(2011年7月10日)記事:http://www.chosunonline.com/news/20110710000002

見出し:20世紀初頭、東北アジアで最もモダンだった?〜朝鮮人など50以上の民族が集まり、市街地や水洗トイレも〜中国の東北工程、中朝経済特区の中心…南北統一後は地理的重要性が増大

 「満州」が再び目覚めている。1世紀前は東アジア激動の震源地だったこの場所に対し、再び各国の関心が高まり、韓国の学界でも熱い話題となっている。

 今年5月13日に満州学会が「万宝山事件」80周年学術会議を開いたのに続き、来月にはソウル大学奎章閣が「満州国の記憶と現在」をテーマに国際シンポジウムを開く。9月には「満州事変と満州国」を特集する国際学術会議もソウルで開催される。研究書も続々と出ている。最近出版された『満州映画協会と朝鮮映画』をはじめ、『満州国の誕生と遺産』『満州モンゴルは朝鮮人の地だった』『満州地域韓人遺跡踏査記』『満州国の肖像』『満州を行く』など、ここ3年の間に出版されたものだけでも10冊を超える。東北アジア歴史財団は、今年初めに『東北亜歴史論叢』で満州国時代の人口移動を特集したのに続き、最近『移民と開発:韓・中・日3国人の満州移住の歴史』を出版した。

■辺境から話題の中心へ

 これまで韓国にとって満州は、ぼんやりとした「記憶の地」だった。一時は古朝鮮高句麗渤海と続く先祖の故地だったが、近代以降、満州は「抗日闘争の聖地」としてだけ伝えられてきた。ところが今、学界はそれ以上の「複合性」に注目している。とりわけ満州の「周辺性」と「融合性」は、幾人もの学者を引きつける要因だ。19世紀の満州には、漢族・満州族・ロシア人・朝鮮人・日本人・モンゴル人のほかにも、フランス・ドイツ・ポーランドウクライナタタールなど50以上の民族、45の言語が混在していた。

ユン・ヒタク韓京大学教授は「多様な民族を吸い寄せるブラックホールであり、欲望が幾重にも重なった空間だった」と語った。1930年代、朝鮮では大々的な「満州行きエクソダス(脱出)」が起こった。生きる道を求める開拓移民と、日帝の政策移民が重なった結果だった。40年の時点で、満州には日本人82万人、朝鮮人145万人が暮らしていた。光復(日本の植民地支配からの解放)のころ、現地の朝鮮人は216万人に達していた。

 知識人や芸術家の間でも、満州行きが流行した。自国での活動に限界を感じた東アジアの文人たちは、1カ所に集まり「満州文学」という独創的なジャンルを生んだ。韓国映画の先駆者に挙げられる羅雲奎(ナ・ウンギュ)・尹逢春(ユン・ボンチュン)も満州で育ち、柳致環(ユ・チファン)・李泰俊(イ・テジュン)・韓雪野(ハン・ソルヤ)などが紀行文などを残した。満州を素材に朝鮮や日本で作られた歌謡曲だけでも、500曲(朝鮮110曲、日本400曲)を超える。釜山−満州−北京を結ぶ特急列車が弾丸のように駆け抜けた場所でもある。

 韓錫政(ハン・ソクチョン)東亜大学教授は「満州に渡った朝鮮人の、あまたの縁がこもった現代史のブラックボックスが、今になって開かれている」と語った。このところの朝鮮族脱北者の問題も「満州への関心の復活」をもたらす一助となった。20世紀東アジアのディアスポラギリシャ語で「離散」)として浮き彫りになり、満州研究は一国史のレベルを超えて国際的・学際的性格を帯びている。

モダニズム・近代国家の実験場?

 日帝のかいらい国家にして実験国家だった満州国(1932−45)ではその当時、少なからぬ朝鮮人が官吏・将校として働いていた。最近では、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領などの満州での体験が、韓国の国家発展にどのような影響をもたらしたのかを明らかにする研究も進められている。

 満州国の首都・新京(現在の長春)は、市街地・上下水道・水洗トイレなどの面で近代の先端を走っていた、と韓錫政・東亜大学教授は語る。満州国は、総力戦体制・統制経済・産業・建築・都市計画・博物館経営・映画・音楽・体育などの面で近代日本の実験場だった。また、満州国のかなりの部分が韓国や北朝鮮に伝わった。国民儀礼やパレード・講演・映画の上映・運動会・ビラ・標語など、光復後に韓国社会で極めて一般的になった諸行事は、満州国時代に行われていたものだった。

■統一に備え戦略的関心が必要

 最近では、海外の地政学者たちも満州に注目している。米国の国際戦略家ジョージ・フリードマン氏は最近、本紙のインタビューに対し、このように語った。「私は常に、韓国が統一された際、満州がどうなるかを気にしている。中国は内部を統制することに躍起になるだろう」

 実際のところ満州は、中国が現在進めている東北工程(高句麗渤海の歴史を中国の歴史に編入しようとする試み)の現場であるとともに、中朝国境の経済特区でもある。中国は最近「長吉図計画」を推進している。吉林省省都長春と、かつての省都吉林豆満江流域の図們を結ぶ工業地帯開発計画だ。韓国では構想段階でストップしたままだが、シベリア横断鉄道と韓半島朝鮮半島)縦断鉄道がつながる場所も、ちょうどこの満州だ。

 東北アジア歴史財団のノ・ギシク歴史研究室長は「昔から、韓半島に隣接する満州は宿命的な地域だった。今では、歴史の問題ではなく現実と未来の問題。統一以後を考えると、学界だけでなく政界・財界も、東アジア全体を融合する地政学的重要性を認識する必要がある」と語った。

満州・間島・東北3省

 もともと満州とは、この地域の民族を指す名称だった。後金を建国したヌルハチ(清の太祖)が国名を「満珠」に変更し、民族名も女真から「満洲」に変えたことで、初めて歴史の中に登場した。この地域にある遼寧吉林黒竜江の3省は「東北3省」と呼ばれる。韓国では、間島という名称もよく使われる。19世紀後半、朝鮮人豆満江以北に渡って農業を始めた際「間の島」という意味でこう呼んだ。現在この地域には、200万人の朝鮮族が住んでいると推定されている。