zames_makiのブログ

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鐘の鳴る丘(1948〜49)戦災孤児

製作=松竹(大船撮影所) 1948.11.23 9巻 2,288m 白黒 監督:佐々木啓祐 脚本:斎藤良輔 原作:菊田一夫 音楽:古関裕而

  • 1948.11.23 鐘の鳴る丘 第一篇隆太の巻 佐々木啓祐
  • 1949.01.25 鐘の鳴る丘 第二篇修吉の巻 佐々木啓祐
  • 1949.11.17 鐘の鳴る丘 第三篇クロの巻 佐々木啓祐
  • 第四編は企画されたが製作されなかった

=第1編未視聴、孤児を泥棒など浮浪児(犯罪者、感化院に強制収用すべきモノ)として差別する描写があからさまできつく、孤児が主人公佐田啓二に救われる場面は対照的で大変印象的かつ感動的だ。子供が正面から苛められ、罪をなすりつけられるシーンはあからさまで痛々しいが設定の昭和21年ではよくあった出来事と思われる、しかし映画上映の昭和24年時点でもきつい表現でそれゆえ多くの観客を集めたのではないか。占領中にもかかわらず日本社会の不都合な部分をあからさまに描く点で興味深いが、原作NHKラジオドラマがGHQの指示によるものであれば納得できる。米軍・米兵が日本社会を蹂躙する様子、パンパンへの同情、米兵との混血児、共産主義者弾圧、民主主義原理に反する言論統制・検閲、朝鮮人差別などは映画は描写できないが、この孤児問題は特別扱いだったと推測される。

NHKラジオ劇について

CIEの指示により作成(以下はウィキペディアによる)

1947年7月から1950年12月までNHKラジオで放送。初年は毎週2回15分間の放送、翌年からは週5回放送。戦争から復員してきた青年、賀々美修平が、戦災孤児たちのために、信州に彼らの住める場所を作ってあげようと努める物語。修平が復員してきたとき、弟の修吉も、両親を失い孤児収容所に入っていた。その修吉を迎えに来た東京で、修平はたくさんの戦災孤児、親も家も失って街頭で靴磨きなどをして生きている子供たちを目の当たりにして、彼らのために安住の場を作ってあげたいと決意する。実際、当時の日本には「浮浪児」と呼ばれる戦災孤児が何万人も街頭にいて社会問題と化していた。

放送開始のきっかけは、昭和22年(1947年)4月のエドワード・ジョゼフ・フラナガンの来日。6月にフラナガンが離日した後に、CIEはNHKに対し、フラナガンの精神を踏まえた戦争孤児救済のためのキャンペーンドラマを制作するように指示した。

浮浪児たちのかたくなな心をときほぐし、少年の家を建てようとする主人公・修平青年の情熱と、次第に力を合わせてたくましく生きようとする子供たちの姿が多くの聴取者の共感と感動を呼び、主題歌とともに国民的ヒット番組となった。

放送番組世論調査日本放送協会編「ラジオ年鑑」25年度版)によると、90%近い人が「鐘の鳴る丘のラジオ放送を聞いたことがある」と答えている。昭和25年時点でも「今でも毎日聞いている」が25%、「今でもときどき聞いている」が51%。

あらすじ

=第1編:修吉は戦災で父母を失い長野のおじの家に行くが、おじもその子供も冷たく家出する。戦後その兄賀々見修平が復員、弟を探しに東京新橋駅へ。東京は多くの孤児が浮浪児としてひどい生活をし犯罪もしている、国は感化院に入れ矯正を図るが子供は脱走する。修吉も脱走し列車に乗っている時逃走しようとして足を怪我する。弟は見つからず代わりに孤児隆太を世話し長野に孤児のための施設を作る。


=第2編:孤児施設は建築中、隆平は東京で弟を探すがスリの手下をしている孤児Aを見つける。連れ帰ろうとするがヤクザが孤児を犯罪の道具にしており隆平は殴り倒される、その時弟修吉が通りかかるがすれ違いとなる。ヤクザの手下Bは改心し知恵遅れの弟ガンちゃんも加え孤児たちを隆平に返す。一方修吉は親切なお婆さんに世話されて長野へ行く。
 長野では隆吉が賀々見勲造の息子に金をスリ取られるが無視され逆に嘘つき呼ばわれする。勲造の息子の犯罪を発見した隆吉と使用人は追求、その時帰ってきた修吉も加え、雪の山中で追跡劇になる。しかし修吉は勲造の息子に突き落とされ崖から落ちる。その時帰ってきた隆吉は命がけで弟修吉と隆平を助ける。ここで勲造は改心する。昭和21年のクリスマスの夜孤児施設は完成、孤児たちは悪人勲造の息子を許し、浮浪児をやめ正しい子供として生きるのを決意する。


=第3編:大阪からとき子ら孤児たちが加わる、同時に旅一座の雑役をしていた孤児クロが加わる。クロの告げ口で隆吉は旅一座に母がいるのを知り家出する、しかし母は単に金のため呼び寄せただけだった。病気のため旅一座に捨てられたクロは友人を作らず粗暴で浮浪児癖が直らぬ、が歌の練習に次第にほだされる。
 歌の先生美也子は慈善金募集音楽会を計画、歌学校の級友に協力を求めるが断られる、しかしプロ歌手Cは協力してくれる。地元ヤクザは東京ヤクザの手先で孤児施設に圧力かけパトロンの家を破壊する、脅しに勲造はやめろと修平に言う。音楽会の日ヤクザの脅しに修平は殴り返しそうになるが、普段通り孤児に模範示すべき腕力は我慢する。このためヤクザは音楽会を破壊するがクロは立派に我慢する。迎えにきた母と再会したとき子は孤児たちの声に送られ和解し帰るのだった。

主題歌 『とんがり帽子』

『とんがり帽子』(作詞:菊田一夫、作曲・編曲:古関裕而、歌:川田正子コロムビアゆりかご会、1947年9月発売、日本コロムビア
「歌詞3番:とんがり帽子の時計台/夜になったら星が出る//鐘が鳴ります キンコンカン/おいらはかえる屋根の下/父さん母さんいないけど/丘のあの窓おいらの家よ」

出演者:

(善人)

  • 佐田啓二(賀々見隆平)主人公、孤児施設を作る復員兵、復員時弟は孤児となっていた、第2編で再会する
  • 高杉妙子(秦野由利江)孤児施設を手伝う、役割は少ない
  • 井上正夫(賀々見勲造)隆平のおじ、孤児施設をよく思わず冷たい、孤児を浮浪児、不良、悪人と決め付け差別する悪役、第3編でもヤクザの脅しに負けて隆平にやめろと言う
  • 英百合子(賀々見かね)その妻、おとなしい
  • 飯田蝶子(しの)第2編、勲造の使用人、勲造の息子が金を隠す場面を見て告発、逆に娘から盗人と思われて山中の追跡劇に加わる
  • 菅井一郎(秦野豊)由利江の父、孤児施設に金をだす善人、
  • 平野郁子(秦野芳枝)その妻
  • 並木路子(長坂美也子)第3篇で登場、歌を歌う役、新任の孤児の先生、歌の先生、歌学校の級友の援助で募金募集音楽会を開く
  • ?()美也子の級友、プロの歌手、音楽会に出演し金も出す、善人

(悪役)

  • 井上正夫(賀々見勲造)隆平のおじ、第1編では修吉を追い出す、第2編で隆太を泥棒と決め付ける
  • 江原達怡(昌夫・勲造の息子):第1編では修吉に冷たくし追い出す、第2編では隆太の金を盗み高価なライターを買い、発見されても否定し山に逃げ込む、山では修吉を崖から突き落とす
  • 大塚とみ子(まき子・勲造の娘):隠した金を使う、発見した使用人を逆に盗人と言う
  • ?(東京やくざ金子)第2編で×らをスリの共犯に使い、修平に金を要求する、修平を殴り倒す
  • 殿山泰司(?地元やくざ)東京やくざの兄弟分で孤児施設をつぶすため、パトロンの秦野や勲造の家を破壊。募金募集音楽会に乱入し破壊する。
  • 逢初夢子(西条たか)第3編、隆太の母だが金のため呼び戻した、旅芝居の芸人
  • 龍二(足立)第3編、たかの情夫、旅芝居の座長、金のためにクロを売り飛ばし隆太を呼びつける
  • 川田芳子(とき子の母)第3編、とき子を迎えにくる

(孤児たち)

  • 本尾正幸(修吉)隆平の弟、孤児の主役、第1編で両親を戦災でなくし兄が帰還するまで孤児感化院に入るが脱走、怪我しびっこになる、第2編では駅で空腹で倒れ駅員から邪魔物にされる、びっこなのに山中で崖から落ちて気を失う、第3編では場面なし
  • 野坂頼明(隆太)孤児の主役、活発、第2編で勲造の息子に金を盗まれる、山中で追跡劇、第3編では母を慕って施設を家出する。
  • 辻正太郎(ガンちゃん)第2編、やくざの子分の弟、知恵遅れで停車場に野宿してる、
  • ?(クロ)第3編主人公、旅芝居一座で雑役係りとして使われていたが持病のため追い出される、隆吉の旧友、暴力的で自暴自棄で荒れるが先生の歌になつく、音楽会では喧嘩の火付け役となる
  • ?(とき子)第3編副主人公、大阪の孤児、父母と仲たがいし家出、迎えにきた母と涙の面会、踊りがうまい
  • 伊藤和子(みどり)

泉沢万次:山口勇
俊二:前田正二
留男:芝田幸雄
謙一:小野寺薫
桂一:鈴木豊明
俊春:徳大寺伸
源吉:山路義人
山の龍太:深沢博夫