zames_makiのブログ

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朝鮮の子(1954)在日朝鮮人の苦労

1954年/30分/日本語・朝鮮語(日字幕)/モノクロ
製作:在日朝鮮人学校PTA全国連合会・在日朝鮮人教育者同盟・在日朝鮮人映画人集団、後援:日本子供を守る会・平和擁護日本委員会
脚本:京極高英、吉見黎、荒井英郎、丸山章治、朝鮮映画人集団、演出:荒井英郎、京極高英、音楽:長沢勝俊、崔東玉
在日朝鮮人の苦労と朝鮮学校の大切さを訴えるドキュメンタリー。朝鮮人生徒の視点とナレーションで素直に日本政府の朝鮮人学校への弾圧とそれに抗して活動を続けてきた朝鮮人学校を紹介している。 冒頭まず朝鮮人というだけで仕事がなく困っている事が語られる。朝鮮人は貧乏だと素直に言う。職安係員が大学卒の朝鮮人に対して仕事はないと言う、女性が煙?のたなびくゴミ捨て場からゴミ拾いをしている様子。語り手の父は戦争中に徴用され死亡、母はパチンコ屋の景品買い(私設景品交換か?)の仕事をし、家は金が払えず電灯が切られている、勉強はロウソクの灯でしている。隣のおじさんは戦争中には男はトラックにのせられいきなり連行され徴用された事を語る、日本へきたら少しは楽に暮らせると思ったががそうでない事など。東京枝川町?での粗末な朝鮮人部落、昔はゴミ捨て場だという。 重要なエピソードとして自分が朝鮮人と言われる事を自分で嫌だと思っていた事、神戸のお婆さんが尋ねてきて自分が朝鮮人である事が日本人の友達にわかってしまい自分でも嫌だと思ったなどという、朝鮮人の卑屈さとそれからの回復エピソードが描かれ痛々しい。 朝鮮人学校で朝鮮の言葉や地理や歴史を学び、彼らも自信を取り戻す。だがその一方日本政府から次々と弾圧がくる。学校の閉鎖要求、日本教育の要求、生徒数の制限、朝鮮語教育の禁止、在日朝鮮人への日本の義務教育の停止の動きなど、しかし朝鮮人は妥協しつつ学校を維持、主人公は今日も朝早く家を出て遠くの朝鮮人学校に通うのだった、明るいエンディング。 通学途上の描写で背景に英語看板の軍隊施設が写るのは偶然ではないだろう(在日米軍の施設、軍医療品の倉庫と思われる)。作中翻る旗はDPRK朝鮮民主主義人民共和国)のものだ。 「お前たち日本人もアメリカから日本語を習ったらいけないと言われた悔しいだろう、そういう事なんだ」ストレートに在日朝鮮人の苦しみを訴える貴重な映像作品、韓国語の部分は限定的で字幕もついており日本人にも朝鮮人にも理解できるよう作られており、朝鮮人の苦しい状況を訴えると同時に日本政府への批判はなく、観客として日本人と在日朝鮮人両方を意識していると思われる。映倫マークがある。
YouTubeに映像あり
1=http://www.youtube.com/watch?v=Lbj_2cXw0qM
2=http://www.youtube.com/watch?v=kBtdnJ_8PqI
3=http://www.youtube.com/watch?v=XbhAFtrXEx8

製作:朝鮮の子制作委員会、在日朝鮮映画人集団 提供:総聯映画製作所
1952年、東京都教育委員会が「都立朝鮮人学校は、昭和31年3月31日限り廃校する」という、一方的な通告に憤激した在日朝鮮人たちが「民族教育」を守れと、「朝鮮の子制作委員会」を組織し制作した貴重な映画。この映画は当時の生徒の作文をもとに作られた。「僕たちはお父さんやお母さんのおかげで、僕たちの国の言葉や地理、歴史を習っています。立派な朝鮮人になるためです。」