スペシャルドラマ坂の上の雲(2009)NHK
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 90分×全13回
第1部: 2009年11月29日〜12月27日(1〜5回)、第2部:2010年秋(6〜9回)、第3部:2011年秋(10〜13回)放送予定。
演出:柴田岳志、佐藤幹夫、加藤拓、木村隆文、一色隆司 脚本:野沢尚、柴田岳志、佐藤幹夫 音楽:久石譲 原作:司馬遼太郎「坂の上の雲」 語り:渡辺謙
【放送予定】2009年11月29日〜12月27日・毎週日曜総合午後8:00〜9:30
http://www.nhk.or.jp/matsuyama/sakanoue/index.html(公式HP)
http://www.sakanouenokumo.jp/drama/calender.html(ファンサイト)
主演:
本木雅弘(秋山真之)主人公:海軍軍人。日清戦争では巡洋艦に乗艦、日露戦争時の連合艦隊参謀、かっこいい主役
香川照之(正岡子規)主人公:俳人・歌人。俳句や短歌の革新を目指す、同郷で幼馴染、早くに死ぬ
阿部寛(秋山好古)主人公:陸軍軍人。真之の兄、陸軍将校でフランス留学馬部隊を編成“日本騎兵の父”とよばれる、日清戦争で活躍、日露戦争では?。陸軍大将となり朝鮮軍に参加、晩年は故郷の小学校長に
菅野美穂(正岡律)子規の妹で子規につくす。真之の恋人、病床の子規を支え続ける
松たか子(秋山多美)好古の妻、武士の旧名家出身
伊東四朗(秋山久敬)秋山兄弟の父 、寡黙で控えめ、早くに死ぬ
竹下景子(秋山貞)秋山兄弟の母、老いては東京の好古と同居
原田美枝子(正岡八重)子規の母
高橋是清(西田敏行)神田・共立学校での子規・真之の英語教師。後に大蔵大臣、第20代総理大臣 、二二六事件で殺される。
小澤征悦(夏目漱石)小説家。子規とは親交が深かった
加藤剛(伊藤博文) 初代内閣総理大臣 =初代朝鮮総督、日清戦争開戦時の日本の意志決定者
藤本隆宏(広瀬武夫)海軍軍人。海軍での真之の友人=軍神広瀬中佐:旅順閉塞作戦で死亡。広瀬神社あり。
マリーナ・アレクサンドロワ(アリアズナ) 広瀬の恋人のロシア人
渡 哲也(東郷平八郎)海軍軍人・日露戦争時の連合艦隊司令長官。=軍の英雄、東郷神社あり
高橋英樹(児玉源太郎) 陸軍軍人。日露戦争時の満州軍総参謀長 =英雄?
石坂浩二(山本権兵衛) 日露戦争時の海軍大臣。後に第16・22代総理大臣
第1回「少年の国」2009年11月29日
260年続いた幕藩体制を倒して、日本には「明治」近代国家が誕生した。その国は、帝国主義まっただ中の西欧列強という「大人」たちに囲まれた「少年の国」であった。
帰郷した三人は、松山城を背に記念写真に納まる。明治16年(1883年)、好古は東京の陸軍大学に入学。その年の6月、自由民権運動の熱弁をふるっている子規に妹の律(菅野美穂)が手紙を持ってくる。東京の叔父から上京を促す手紙だった。喜び、すぐさま東京へ。松山に取り残されたような複雑な心境の真之のもとにも好古から面倒をみるとの手紙が届く。真之は好古の下宿で暮らし始め、子規の後を追うように神田の共立(きょうりゅう)学校に入学、大学予備門を目指すことになる。そんな、ある日、真之と子規は、共立の英語教師・高橋是清(西田敏行)の誘いで横浜にくり出した。そこで、二人は最新鋭の巡洋艦「筑紫」を目の当たりにし、その威容に圧倒される。そんな二人に、高橋は日本が紳士の国になるべきことを説くのだった。
第2回「青雲」 2009年12月6日
明治17年(1884年)、上京から1年。真之(本木雅弘)と子規(香川照之)が上京した東京は、文明開化の奔流のただ中にあり、伊予松山とは別世界であった。
9月、真之と子規はそろって大学予備門に合格。報告を受けた好古(阿部寛) は座右の銘である福沢諭吉の言葉「一身独立して、一国独立す」をもって、自分を甘やかすな、と諭す。そこへ下宿先の娘・多美(松たか子)がお祝いだと言って大きな鯛をもってきたので、気まずくなるが・・・。
好古が在学する陸軍大学校では、児玉源太郎(高橋英樹)がドイツから教師として、智謀神ノゴトシとうわさされるメッケル少佐(ノーベルト・ゴート)を招へい。日本の陸軍はドイツ式となっていくのだった。
春となり、子規の妹・律(菅野美穂)が松山から出てきて、結婚の予定を打ち明け、真之に子規のことを託す。やがて真之と子規は予備門で塩原金之助(後の夏目漱石・小澤征悦)と仲良くなったり、野球を始めたりするが、自分たちの将来について悩む。坪内逍遥に感銘し文学を一直線に目指す子規を見て、真之は「自分は何ができるのか」という 問いに直面。好古の座右の銘を深く考えた真之は子規と袂を分かち、軍人になることを決意、好古に告げる。
明治19年10月、真之は海軍兵学校に入学し、自分の道を探し始める。ここで、1学年上の広瀬武夫(藤本隆宏)と親しくなる。翌々年、兵学校が江田島に移り、真之は休暇で松山に帰省。父・久敬(伊東四朗)、母・貞(竹下景子)から律が離縁されたことを知らされる。江田島に帰る真之を三津浜の船着場に追いかけてきた律は離縁の訳を明かす。
その頃、好古は、旧松山藩の若殿の供でフランスの陸軍士官学校に留学中だった。日本陸軍がドイツ式の体制を目指す中にあって、フランス騎兵団の優位性に着目していた。明治23年1月、好古は官費留学にきりかわる。それは、陸軍が騎兵建設を好古に託したことを意味した。
明治という生まれたばかりの時代は青雲の志に満ちていた。その中で、三人の主人公は、それぞれの将来に向かって歩み始めるのだった。
第3回「国家鳴動」 2009年12月13日
西欧列強の荒波の中にこぎ出した「少年の国」明治日本もまた、主人公たちと同じように、世界という舞台で悩んでいた。憲法を制定し近代国家の基礎を固め始めた日本だが、来日中のロシア皇太子ニコライ2世が暴漢に襲われ、ヨーロッパの大国ロシアとの間に緊張が走る。海軍兵学校を卒業し海軍にいた真之と、フランスから帰国し騎兵学校の教官になっていた好古は臨戦態勢に入る。
第4回「日清開戦」 2009年12月20日
南下政策を推し進めるロシア、自らの属国と自負する清国、新たに地歩を築きたい日本、その三国の間で朝鮮は揺れていた。朝鮮王室の内紛に端を発して、日本と清国の間に戦争が勃発(ぼっぱつ)する。好古は、乃木希典らとともに出征し、旅順要塞の攻撃に参加する。子規は従軍記者として戦場を訪れ、戦争と文明について再認識する。真之は巡洋艦「筑紫」で初めて実戦に参加し、現実の惨状に衝撃を受ける。
第5回「留学生」 2009年12月27日
日清戦争後、真之たち海軍の若手将校に海外留学の話が持ち上がる。真之はヨーロッパの大国への留学よりも、あえて新興国アメリカへの留学を決意する。真之の親友広瀬武夫は、将来の日露の衝突を予見し、ロシアへの留学を希望する。真之はアメリカで新興国の勢いを感じ、伝統にとらわれない合理的な戦術に目を見張る。世界情勢は、ヨーロッパ列強に日本・アメリカが参入し、新しい時代を迎えようとしていた。
第6回 日英同盟
南下政策を推し進めるロシアは、旅順に大規模な要塞の建設を始める。真之はその情報を得るため旅順に潜入し、久しぶりに好古と再会する。旅順で秋山兄弟はロシアの強大な軍事力を目の当たりにする。ロシアとの衝突は免れないと考えた日本は、イギリスとの同盟を模索する。アジアにおけるロシアの勢力拡大を望まないイギリスは、明治35年日本との間に日英同盟を結ぶ。巨大な時代のうねりが、小さな島国の若者たちを飲み込もうとしていた。
第7回 子規、逝く
文学を目指した子規は病床にありながら日本の古典を見つめ直し、新しい俳句の世界を創造しようとしていた。海軍大学校で戦術を教えていた真之は、東京・根岸の「子規庵」で病床に伏す子規を訪ね、病と闘う子規の姿に感動する。日露の緊張が高まる中、真之は新聞で新俳諧の巨星・子規の死を知る。明治35年(1902)9月19日没、享年35。
「子規逝くや 十七日の 月明に」 虚子
第8回 日露開戦
明治36年(1903)7月、真之(36)は稲生季子(21)と結婚。折から日本とロシアの対立は避けがたいものとなり、海軍は連合艦隊を編成する。司令長官には大方の予想を裏切り、東郷平八郎が任命される。日本は大国ロシアとの戦争を回避すべく、交渉を続けるが、明治37年1月ついに開戦を決意。真之は東郷から連合艦隊の作戦参謀を命じられ、日本海軍の命運の一端を背負うことになる。
第9回 広瀬、死す
満州で戦う日本軍の生命線は、日本海での制海権確保であった。連合艦隊はロシアの旅順艦隊を撃滅しようとするが、ロシア艦隊は旅順港に入港したまま戦おうとしない。策に窮した連合艦隊は旅順港の入り口に貨物船を沈め、ロシア艦隊を港内に閉じこめてしまうという奇策、閉塞(へいそく)作戦を決意する。真之の反対を押し切って出撃した海軍兵学校以来の親友広瀬は、銃弾が降り注ぐ中、部下を激励して脱出する最中、敵弾に当たり戦死する。閉塞戦に失敗した連合艦隊には暗雲が漂っていた。真之は広瀬の死を悲しむ間もなく、新たな作戦の立案を迫られていた。
第10回 旅順総攻撃
ロシアはバルチック艦隊の日本派遣を決定する。ロシア旅順艦隊はいまだに健在で、バルチック艦隊と合流された場合、日本の連合艦隊に勝ち目はない。旅順艦隊撃破のため、真之は陸軍との作戦会議で旅順要塞(ようさい)の攻略を要請する。陸軍は乃木希典を第三軍司令官に任命し、旅順攻略を命じる。第三軍は一週間で旅順要塞を陥すと豪語するが、旅順要塞はベトンで固められた近代要塞になっていた。正面攻撃を敢行した第一次総攻撃は、六日間で千五百六十人の死傷者を出し失敗に終わる。旅順攻撃によって、日本人は初めて近代戦というものの恐ろしさに接した。旅順要塞そのものが近代だった。それを知るために、日本人は大量の血で購うことになる。
第11回 二〇三高地
陸軍は正面攻撃に固執し、第二次、第三次の総攻撃も失敗する。真之は要塞の陥落は必要なく、艦隊さえつぶしてくれれば良いと主張し、二〇三高地の攻略を進言する。乃木は苦悩するが、第三軍の幕僚たちは要塞陥落を主張する。一方バルチック艦隊は刻々と日本に近づいていた。海軍の要請に、乃木も二〇三高地攻撃を決意するが失敗する。二人の息子を同じ戦場でなくし、万策尽き果てた乃木の苦境を見かねた満州軍参謀長、児玉源太郎が旅順にやってくる。テントの中、乃木と二人きりで話し合った児玉は、一時的に第三軍の指揮を執ることを決意し、二〇三高地を全力で攻める。死闘の末、二〇三高地は数多の兵の犠牲の上、陥落する。
第12回 敵艦見ユ
後顧の憂いを絶った連合艦隊は、バルチック艦隊との決戦に備える。真之は必勝の「七段構えの戦策」を立案する。一方、好古はクロパトキン率いるロシア陸軍との一大決戦に備えていた。準備を整え対馬海峡で待機する東郷・真之らの連合艦隊だが、バルチック艦隊の行方は杳(よう)として知れない。バルチック艦隊を全滅させなければ、この戦争は敗北する。しかし、バルチック艦隊が対馬海峡を避け津軽あるいは宗谷海峡を回ると、真之の立てた作戦は水泡に帰してしまう。
好古は、陸軍がこの戦争の「関ヶ原」と呼んだ奉天会戦で活躍する。陸軍の戦闘能力は限界に達しており、児玉は終戦工作を画するが、その全てはバルチック艦隊と連合艦隊との決戦にかかっていた。なかなか対馬に現れないバルチック艦隊に業を煮やした真之は、東郷に艦隊の移動を進言するが「敵は対馬に来る」という東郷の一言で移動を延期する。そしてその翌日、「敵艦見ユ」との電信が三笠に届く。日本の命運は、まさに連合艦隊にかかっていた。