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明治学院大シンポジウム「1968年と2009年」

明治学院大学 国際学付属研究所 公開シンポジウム「1968年と2009年」
小熊英二氏の「1968」(新曜社)を軸としてあの時代とは何だったのか?
日時:2009年11月1日
14:00〜17:00
場所:明治学院大学 白金校舎3号館3201教室
パネリスト:
小熊英二(慶応大、社会学=体調不良ため不参加、音声で基調報告40分行う)、加藤典洋(早稲田大、文芸評論家)、高橋源一郎(明学大、作家)、島田雅彦(法政大、作家)、雨宮処凛(作家)、司会:原武史(明学大、政治学
参加費:無料
定員:500人
=参加者200人ほど、明治学院大が学園祭中だったが学生の参加はそれほど多くない、質問者で学生で質問した人はいなかった。
感想:論者の世代と学術的立場が際立った話だった、大熊の偉業に比較できるお話はなかった。
 1962年生まれの小熊が、1968年の学生運動をその政治性ではなく、生きがいの喪失などの現代的生きづらさの日本での最初の表れと捉えなおす、新しい視点社会学的に提起した。又小熊は大胆に諸事件を整理し歴史化・評価づけ・視点の提示を行っているのは素晴らしい。わずか40年前の事件で当事者が様々に発言したがるこうした事件にはこの大胆さは大変貴重だろう。

 これに対し、1945年生まれの加藤典洋高橋源一郎が、その運動に参加した当事者として評価を拒絶し、また一運動者あるいは一思想家としてべったりくっついた曖昧な評価を行い続ける、彼らは小熊の本に当事者の赤裸々な回想が掲載されたのに気に入らないようだ、それがかっこ悪いものだからだ。一方、現在進行形で運動家である雨宮は、運動の先駆者として、暴力的なすごい運動をした人たちとして素直に評価している。しかし雨宮には小熊のような相対化・歴史化するだけの関心と知識がないのでそうした言及はない。原武史はこの本を歴史的・政治活動史的に最も深い関心をもって眺めたようだが、発言機会が少なく問題提起のみであった。
 更に会場からは、全共闘運動に参加した60代の方から、今も熱い思いが語られ歴史化を拒絶していたのが興味深い。 
 全体として、実りの少ないシンポジウムだった。今後の関係知識人の発奮が期待される。