zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

黒部の太陽(1968)石原プロ

=大作、スペクタクル,DVD化されていないのは石原プロの不熱心さによる、2009年雑誌「新潮45」に記事
製作=三船+石原プロ 配給=日活 公開:1968.02.17 
監督:熊井啓 原作:木本正次『日本人の記録・黒部の太陽』(毎日新聞社刊)
脚色:井手雅人熊井啓 企画:中井景 音楽:黛敏郎
出演:
石原裕次郎(岩岡剛:岩岡班頭の息子)=主人公、現場の主人 、北川の娘と結婚する
辰巳柳太郎(岩岡源三:熊谷組下請岩岡班頭)トンネル堀の名人、体を壊す
三船敏郎(北川:関電建設事務所責任者)=関電責任者、娘が白血病で死ぬ
日色ともゑ(牧子:北川の娘)白血病で死ぬ
樫山文枝(由紀:北川の長女)剛と結婚する
滝沢修(太田垣:関電社長) 総責任者
加藤武(国木田:間組の現場責任者)

高峰三枝子(加代:北川の妻)
川口晶(君子:北川の三女)

玉川伊佐男(佐山:岩岡班幹部)
下川辰平(安部:岩岡班・幹部)
平田重四郎(重夫:岩岡班抗夫・安部の弟)
草薙幸二郎(上手:岩岡班抗夫)
下条正巳(神田:岩岡班抗夫)
佐野浅夫(川村:岩岡班抗夫)

志村喬(芦村:関電常務取締役)
佐野周二(平田:関電建設事務所長)
三益愛子(料理屋のおかみ)


関西電力黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣(滝沢修)社長総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。間組の国木田(菊池)と熊谷組の下請会社の岩岡源三(辰巳柳太郎)は、ともに現場責任者の北川(三船敏郎)を訪れ、ダム工事の難しさを知らされた。
 源三の息子剛(石原裕次郎)は、トンネル掘りのためにどんな犠牲も省りみない源三に反抗し、家を出て設計技師として図面をひいていた。国木田はそんな剛と、北川の長女由紀(樫山文江)と見合いさせようと提案して、源三を驚かした。
 昭和三十一年八月、世紀の大工事といわれた黒四工事は、大自然との闘いの火蓋を切った。九月に入って剛は偶然、由紀と会い、親しさを増していったが、彼女が父の北川の身を心配するのを見て、源三の様子を見に黒部に向った。源三はめっきりと体が弱くなっていた。北川の黒四にかける熱意にほだされた剛は父に代ってトンネル掘りの指揮をとることになった。
 こうして工事が始って半年、犠牲者はすでに十六人を数え、難工事であることが現場の人たちに不安を抱かせ始めた。翌年の四月、北川たちが恐れていた事態が起った。軟弱な花岡岩帯(破砕帯)にぶつかったのだ。五月に入ってすぐ、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。この危機を切り抜けるため、色々な技術プランが検討されたが、工事は一向に進まなかった。
 そんな折りも折り、北川は次女の牧子(日色ともゑ)が白血病にかかって入院し、生命はあと一年と知らされたが、大仕事をかかえているので、娘のそばについているわけにはいかなかった。現場は労務者が一人、二人と去っていく状態で、彼らの士気は上らなかった。一方、太田垣はあらゆる手を尽して危機を乗り切るため莫大な金を投入、技術陣の科学的な処置と、北川や源三たちの努力が実を結び、その年の十二月、ついに難所を突破した。
 翌年十一月、剛は由紀と結婚した。そして二月、北アルプスを抜いてトンネルが開通した。その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は牧子の死を知らせる電報に接し、激しく慟哭した。昭和三十八年三月、黒四ダムは多数の犠牲を出して完成した。その日はちょうど北川の停年退職の日であったが、北川や剛たちはダムの偉容に、無限の感動を覚えていた。


石原プロ製作映画>
1963.10.27 太平洋ひとりぼっち  石原プロ(文芸作品)
1964.09.19 殺人者を消せ  日活=石原プロ (サスペンス)
1965.03.06 城取り  石原プロ  (時代劇アクション?)
1966.10.08 栄光への挑戦  石原プロ  (?)
1968.02.17 黒部の太陽  三船プロ石原プロ (大作:建設)
1969.07.15 栄光への5000キロ  石原プロ  (大作:ラリー)
1970.02.28 富士山頂  石原プロ  (測候所)
1970.06.06 ある兵士の賭け  石原プロ  (戦争)
1972.10.10 影狩り ほえろ大砲  石原プロ (時代劇アクション?)
1973.02.17 反逆の報酬  東宝石原プロ (犯罪サスペンス)