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<アメリカのパブリックディプロマシーについて>

出典:「アメリカン・センター:アメリカの国際文化戦略」渡辺靖 岩波書店(2008)

パブリック・ディプロマシーの定義:
1970年代以降急速にこの言葉は広まった。USIAでは「外国の市民を理解し、情報を与え、影響を与えること。アメリカの国益と安全保障を高めること」それまでの諸概念−広報活動(情報・宣伝活動)、文化活動(教育文化交流活動)、心理作戦(心理戦争、心理戦略)、思想戦などと重複する部分は多い。パブリックの意味の解釈により市民外交、大衆外交、世論外交、国民外交、開かれた外交とすることも可能。どの概念と重ね合わせるかは曖昧、従ってどの文脈で、どういう意味でこの言葉が使われているか注意する必要がある。(p76)


パブリック・ディプロマシーはあくまで外国向けのものであり、アメリカ国内に向けて行う事は1948年のスミス=ムント法により禁止されている。現在も厳しく禁止されており、アメリカ人にはアメリカ政府による情報や文化の管理に対する強い警戒心が存在する(その一方外国にはそれを行う事になんら躊躇はない)(p166)


アメリカは平時においては宣伝広報活動には熱心ではない。広報文化活動はあくまで対外的な危機への対抗手段としてのみ正当と考えている
2広報活動において、情報、広報、宣伝(プロパガンダ)という言葉が混在して使われている。又それらは文化活動(教育文化交流)と同次元で論じられる傾向にある。
アメリカ政府の広報文化活動は民間との積極的な連携によって担われてきた。ハリウッドがよい例。また多くの民間の研究者、ジャーナリストが登用されている。
4第1次世界大戦から一貫してアメリカが強調してきたスローガンが「自由」と「民主主義」であり、自分の活動はプロパガンダではなく、ナチやソ連など相手の活動はプロパガンダと名づけてきた。自国のしているのはプロパガンダではないとするが、目的は相手国の魅力、正当性、信頼性をそぐことにある。(p24)


アメリカは「自由」や「民主主義」という価値観を「アメリカの物語」として声高に叫び続けている。(p178)パブリックディプロマシーとは端的には人々の関心や認識を自国にひきつけること即ち、言説を支配することだ。(紛争当事国の2者の内、自国の言い分だけを第3者に対し流布させ、そればかりを聞かせること、その物語を聞かせること、その物語を納得させること)(p316)


パブリック・ディプロマシーの課題:
活動の評価が難しい。態度が変わったか否かどう測定(調査)するのか。何が目標か?多数の大衆の態度を変えるのか、重要な数人の態度を変えるのか?その態度は持続しているか?態度の変化の原因は本当にパブリック・ディプロマシーの効果なのか?エドワード・マローの言「人々が態度を改めた時にレジが鳴るわけではない」「完全に態度を決めてしまっている人々の心に、疑いの念を吹き込む事が最も重要な仕事であることも珍しくない」(マローはUSIA長官、1961年それまでのニュースキャスターからケネディにより抜擢。「真実こそが最高の宣伝だ」など)USIA=United States Information Agency 米国海外情報局(研究社).米国文化交流庁(渡辺靖


他国のパブリック・ディプロマシーとの比較:
歴史的にみてアメリカのパブリック・ディプロマシーが二つの世界大戦、冷戦、テロとの戦いなどの戦争を制するための手段である傾向が強い。対してイギリス、ドイツなどは通商、観光、文化振興などの側面が強い。政府が一元的にそれを行っている点ではむしろ中国と近い。(p176)


戦後日本でのパブリック・ディプロマシー
(1)1945年〜1952年、
GHQ占領下担当部署=CIE(民間情報教育局)。文化的側面の非軍事化と民主化を図った。マスコミ統制(検閲)、政教分離神道指令の発布)、6・3制教育制度施行、教育委員会制度、教科書検定、社会科の導入、近代図書館制度の導入(国会図書館その他)、婦人活動、社会教育、文化遺産の保存など多岐。
CIE図書館の設置、全国に23ヶ所。映画会、講演会、展示会、シンポジウム、レコードコンサート、ダンス、英会話学校など。
CIE教育映画の制作・配布・上映。
米国映画の配給強化(市場占有率戦前の16%→42%へ1947年)、米国の混乱を描いた映画の配給禁止。

(2)1954年以降〜今、
USIAによる文化交流活動(遅いメディア)、
・「対日心理戦略計画」(1953.1)=日本の中立主義共産主義、反米主義を無力化すること、労働運動(総評)への働きかけ。
・「人物交流プログラム」(1)IVP(1948年〜)、重要人物のアメリカへの招待。(2)フルブライト留学生(1952年以降に追加)。研究者に留学の機会。
・「CIE図書館」その後の変化、CIE図書館アメリカ文化センター(ACC)CIE図書館と活動内容は同じ→アメリカンセンター(AC)
雑誌、映画、ラジオ番組(早いメディア)

(3)USIS出資のプロパガンダ映画「嵐の青春」(1954)中井プロ、そのほか

(4)CIAのハンス・タフトは反ソ連の世論を高める日本語のプロパガンダ映画を商業的な形で制作し成功した。タフトは戦時中はOSS所属、戦後はCIA?、厚木基地に拠点を構えて活動、マッカーサーは当初CIAの活動を排除していたが、中国で共産軍が上海で勝利したころからしぶしぶ認めるようになった。(p58)出典:ブラック・プロパガンダ / 山本武利. -- 岩波書店, 2002()