zames_makiのブログ

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シンポジウム「満州の終焉史と松花部隊」〜ソ連軍進攻時前後の旧満州の終焉の実態

8/30
14:00〜
会場:文化会館たづくり12階大会議場
無料
発言者:研究者、体験者
主催:旧満州を調査記録する会 0265(24)6186(事務局・長野県飯田市
池田精孝:http://www.kaiteki-jinsei.jp/shumiyuyu/13/03.html

東京新聞 2008年8月27日 記事

「松花部隊」に光を 30日、調布市でシンポジウム
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008082790135037.html
 太平洋戦争の終戦間際、旧満州中国東北部)で、旧ソ連軍の侵攻に対し、少年を含む多くの民間人が動員された部隊があった。「松花(しょうか)部隊」。在留邦人の避難や撤退する関東軍の援護などが主な任務だった。活動記録がほとんど残されておらず、“幻の部隊”とも呼ばれるが、「幻で終わらせず、伝えていきたい」との思いを抱く研究者や元隊員らがいる。(奥野賢二)
 旧満州居留民らでつくる「旧満州を調査記録する会」(事務局・長野県飯田市)。同会によると、松花部隊は終戦の直前、旧ソ連軍が侵攻した一九四五(昭和二十)年八月九日に関東軍に臨時召集され、当時の軍都だった佳木斯(チャムス)(黒竜江省)で結成された。隊員は約三千人。軍事訓練を受けたことのない開拓団の民間人が多数含まれていたという。
 混乱の中、関東軍は撤退を開始。松花部隊は、撤退の援護や証拠隠滅のための関東軍の軍事施設の破壊、在留邦人の避難誘導などを担当。一部の部隊で旧ソ連軍との交戦もあったという。終戦後の九月上旬に武装解除された。
 同会代表で医師の池田精孝(きよたか)さん(84)=東京都調布市=は長野県の旧制飯田中を卒業後、旧満州の国立佳木斯医科大に進学。卒業試験当日の未明に旧ソ連軍の侵攻があり、すぐさま現地の陸軍病院に派遣された。
 松花部隊については開拓団関係者が著した「満州開拓史」に名称が散見する程度で、ほとんど記録が残っていない。池田さんは松花部隊には所属しなかったが、その存在は関係者の手記を目にした九年前に知った。「何としても部隊の足跡を調べたい」と、数年前から戦死者の慰霊と調査を兼ね計十五回現地を訪問。マスコミなどを通じ、部隊生存者を捜し続けた。
 生存者の一人が元隊員の田辺良三さん(80)=埼玉県草加市。十七歳で動員された田辺さんは「銃剣も鉄かぶともないのに、根こそぎ召集された。関東軍に置き去りにされた人を無事避難させることしか頭になかった」と振り返る。田辺さんは「部隊を幻のままにしたくない」と当時の記憶をたどりスケッチ。約四十枚を書き上げた。
 「佳木斯の最後を託されたのは関東軍ではなく松花部隊だった」と池田さん。「満州を知る人はどんどん減っていく。部隊の情報があったら連絡してほしい」と呼び掛ける。
 「旧満州を調査記録する会」は三十日午後二時から、調布市文化会館たづくりで、研究者や元隊員らが参加したシンポジウムを開く。元隊員が証言する。田辺さんのスケッチも展示する。
 入場無料。問い合わせは同会事務局=電0265(24)6186=または、調布市文化振興課=電042(481)7139=へ。(東京新聞