zames_makiのブログ

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映画「靖国YASUKUNI」(2007) →公開延期し5/3より上映

123分 日本/中国 初公開年月 2008/04/12  ドキュメンタリー
東京 渋谷シネ・アミューズ:5月3日〜5月9日
シネカノン有楽町1丁目:5月10日〜(レイトショー上映)
東京 銀座シネパトス(とりやめ)
監督:李纓 出演:刈谷直治/菅原 龍憲/高金 素梅
「李櫻氏の最新作『靖国』は敗戦記念日のその一日を凝視する。既成の見方、アングルは排除され、初めてその日を見るように新しい。」(土本典昭 記録映画作家)―― 映画は、靖国神社のご神体である日本刀の鋳造を黙々と再現してみせる高齢の、現役最後の刀匠の風姿を縦軸に、そして8月15日の、奇妙な祝祭的空間に変貌した靖国神社の情景の数々を、ひたすら丹念に写し取っていく。あらゆる言説の塵埃を払われたその姿は、観る者に深い感慨を与えずにはおかないだろう。終盤、記録映像が連続して立ち現れるとき、人が味わうものは、これらフィルムのコマの総和としての重み、戦争が人々に与えた、言うに言われぬ重みではないだろうか。ドキュメンタリーの一傑作である。
オフィシャル・サイト http://www.yasukuni-movie.com/

靖国神社ドキュメンダリー映画の制作が初めて完成

http://www.pekinshuho.com/ztjl/txt/2007-11/07/content_84898.htm
「北京週報日本語版」 2007年11月8日

このほど、『南方週末』紙の記者が映画の撮影状況について李纓監督を取材した。
問 このドキュメンタリー映画を制作する際、またはその前に、なぜ日本では今日になってもこの題材に触れた人がいないのかということをあなたは考えたことがあるかどうか?

答 ない。その時、私も知らなかった。のちにこの映画を制作する過程で、資料を探すため、いくつかの映画のフィルムを参考することになり、調べてみると、みんながこの内容に関するいかなる映画も制作したことはないと言うのだった。その後、撮影の仕事は非常に困難で、私も撮影を続けることができなくなり、日本の監督協会理事長の崔洋一氏をたずねた。氏は在日朝鮮人の二代目で、日本生まれの方であった。私は日本側に頼んで私と力を合わせてこの映画を完成する可能性があるかどうかと彼に尋ねた。彼はそれを耳にすると、不可能だ、すべての人がこの問題を回避しているのだと答えた。
 その時、私もどういうわけなのかと考えた。その原因はのちに私が仕事を続ける過程ではじめてだんだん体得することになった。一時期続けてみたが、余りにも難しく、直面する問題が多すぎ、まさに乗りかかった船となった。多くの日本人は私よりずっと先見の明があり、ずっと困難がどこにあるのかを知っており、私は世間知らずもいいところでこれらのことをぜんぜん知らずに、がむしゃらに前へ進んでいたのだ。

問 あなたの撮影班はどういう人たちからなるものか?何人いるのか?

答 私のアシスタントは日本人であり、カメラマンとプロデューサーもいるわけだが。私はできるだけ撮影班を最小規模に圧縮した。初めの数年間には私一人だけで小さなテレビジョンカメラで撮影を行った。その後、多角的視点でやる方が私のためになると思うようになり、さらに数人を増やした。しかし、私はやはりメンバーを最低に抑え、一般は3−4人で、のちに人数が少し増えた。

問 早期にいくつかの素材を撮影した時、ランダムでおこなったのかそれとも選択的に、例えば、毎年の神社参拝が相対的に多い時を選んだのか?

答 私はよく靖国神社に行き、ときにはテレビジョンカメラを持って行き、いくつかの素材を気の向くままに撮ってきた。私たちはそれ(靖国神社)に本当に近すぎるところにいた。ときには一休みのためにコーヒーを買いに行くことや、木蔭に坐ってお茶を飲みながら一服することや、桜の花を見て楽しむことなど、いずれもそのそばで行い、すでに日常化し、多くの場合、それはとりもなおさず私の生活の1シーンとなっていた。

問 東条英機の孫娘を取材した内容は映画では使っていないのか?

答 使っていない。私は映画を学術的論証として作るのではなく、一定のゆとりを残した方がよいと思っている。このことは簡単な言葉ではっきりと表わせるものではなく、現象の複雑性と彼らのナショナリズム的心情を顕在化させ、彼らの気持ち、その中における天皇の存在を通じて、人々に考えさせる方がよいのではないかと思っている。

問 私は、あなたの表現は非常に抑制的で、できるだけ主観色を残さないようにしていると感じている。

答 その実、この映画には私の強い主観的なものがあり、私はできるだけそれを抑制した。ドキュメンタリー映画を客観的なものにすることは不可能である。いくつかの日本人映画評論家の言葉では、その実、これは中国の武術と日本の剣道との対決のようである。私は別にすぐ相手を倒そうとするのではなく、ずっと相手に手を出させ、相手が手を出すと、その破綻が見え、逆にあなたが意図を表す時には、彼はすでに反抗の能力が失っているのだ。1つの見方を表現する時、みずからと相手を知らなければならず、自分の訴求を表わすだけではだめで、相手がどうのように考えているのかを知らなければならない。

問 歴史問題で具現されている中国と日本の文化の違いは何か?

答 中国は近代にお化けや神の伝統を打破したが、日本はまだ祭祀に対して畏敬の念を保っている。多くの日本人学者は、彼らの伝統はずっと続いてきたものであり、中国のそれはたえず中断し、頻繁な王朝交替の過程で多くのものが消え失せてしまったと見ている。彼らは天皇の存在を強調し、自分の国は神の国で、神の国は不滅であり、天皇は最高の象徴であると考えている。これも日本文化の自己優越感の潜在的なエッセンスである。問題の複雑性はほかでもなくここにあり、彼らは靖国神社の祭祀は天皇の尊厳と儀式であり、簡単にこの伝統を否定すれば、日本の最も重要な儀式はなくなっってしまうと思っているため、それを受け入れない。彼らは戦争の問題と戦争の責任の問題を冷静に持ち出して考えることを知らないのだ。

問 映画の中に何か表現できないものはなかったのか?

答 私は映画の中で、すでに私の方法で自分の認定している靖国神社の魂は何かということを表現しており、映画を見る人たちがいろいろな面から自分の結論を引き出すことができると思っている。私はずっと人間の命、死、魂などの問題に関心を持っており、個人の存在と国との関係ということもこの映画の非常に重要な話題の1つである。

私は靖国神社という日本民族の非常に大きく、非常に特殊な精神と心霊的構造をすでに提示したと思っている上に、みんなにその内容に視線をそそがせるためにこの構造に多くの窓を開けた。私は私がすでにその中のそうした空気、そうした呼吸を表現し、多くの細かな、学術的なものに至っては、人々は映画以外のものからさらに求めることを必要とすると思っている。

問 映画は日本で発行されるそうだが、あなたがたはどんな仕事を行っているのか?

答 日本の発行側は多くの映画館に対し一軒一軒と調べており、それは彼らの放映の規模が大きいからである。いくつかの映画館は全く受け入れられないとしているが、いくつかの映画館はすばらしい作品で、このような映画は大いに上映することを必要とすると思っている。日本の最も人が集まる地点、例えば渋谷、銀座、新宿の映画館は基本的にこの映画を放映してよいと表明している。このほか、いくつかの文化人、映画評論家たちにも見てもらわなければならず、私たちが世論に対する仕事にも十分に力を入れることを考えているからである。このような映画を発行することには、多くの戦術的問題がある。具体的にいかにして広報の仕事を行うのか、それをどれほど行うのか、いくつかの予知できない要素をいかにしてコントロールするのか・・・・・・大きくすればするほど危険性も大きくなる可能性は非常に大きい。この映画は議論の非常に多いものとなろう。

李纓監督のプロフィール>
李纓氏は1963年に生まれ、1984年に中山大学の文学部を卒業した後、中央テレビに入ってドキュメンタリー映画の編集・監督の仕事にたずさわった。1989年に日本に留学し、1993年にプロデューサーの張怡氏と一緒に東京で竜影映画テレビドラマ制作会社を創設した。会社は日本のテレビ局のドキュメンタリーフィルムの制作に参加するほか、中国のドキュメンタリー映画の発行代行にも携わっている。1997年に自分の最初のドキュメンタリー映画『2H』を撮影、制作した。2007年、李纓氏はドキュメンタリー映画靖国神社』を完成し、その素材は長い期間をかけて少しずつ積み上げたもので、製作の全過程は10年間も続いた。