zames_makiのブログ

はてなダイアリーより移行

捕えられた伍長

2008年02月16日(土) 17時30分 開場:上映20分前
・・・上映後、ジャン=フランソワ・ロジェ(シネマテーク・フランセーズ・プログラム・ディレクター)の講演あり

『捕らえられた伍長』(フランス/1962年/105分/35ミリ/ニュープリント/モノクロ/日本語同時通訳付き)
監督:ジャン・ルノワール、出演:ジャン=ピエール・カッセルクロード・ブラッスール、クロード・リッシュ、ジャック・ジュアーノ
1940年6月フランスはヒトラーのドイツ軍に敗れ、休戦条約が成立した。フランス北東部にある捕虜収容所に抑留されたフランス兵たちは使役のかたわら伍長、パーテル、バロシェの3人を中心に密かに脱走を計画、一つ失敗してはまた別の方法を試みている。しかし何度も挫折を重ねるうちに、次第に兵士たちはバラバラになっていく。また、ドイツ軍はオーストリアの捕虜仕官収容所などをはじめ、彼らを転々と移動させた。伍長の脱走への意欲もなえてくる。ある時、伍長は歯医者の娘エリカと出会い、二人は愛し合うようになる。そのことをきっかけに再び脱出の情熱がわいてきた伍長は、バロシェの死にショックを受けながらもパーテルと6回目の脱出を試みる。エリカの助けもあり、何とか輸送列車に忍び込むことに成功した二人は爆撃の危険に遭いながらもパリに着いた。二人はトルビアック橋の上で自由に向かい、それぞれの道を歩き出すのだった。

大いなる幻影』を思わせる、捕虜収容所からの脱出を描く物語だが、『大いなる幻影』と比べ、実に軽妙で自由闊達な作品となっていて、当時のヌーヴェル・ヴァーグの息吹さえ感じる。「普通の人物の日常的な戦い」として描きたかったと言うルノワールは、若手の俳優を起用し、自由奔放なタッチで演出している。

私は何よりもまず、敗れた者の精神についての映画を作りたかった。『大いなる幻影』はその反対に勝者の映画だった。先の大戦は私たちに一つのことを教えてくれた。そこには敗者しかないということである。(J・ルノワール

『捕えられた伍長』は、戦争捕虜の物語を描いているが、『大いなる幻影』よりも『どん底』を思い起こさせる。フランス軍の若き兵士である伍長は1940年の崩壊後、5回脱走を試み、6回目にようやく成功する。この作品の登場人物たちは、『どん底』の登場人物たちよりもさらにもっと「どん底」につき落とされ、存在の零地点に戻される。この作品は、世界の終末にいる1961年の人間についての考察を望んでいる、つまり現代の世界について、そして変化する時代、闘いの時代について。この作品は西洋文明の瓦解が確実であることを示し、そこから生じるカオスの中で、存在や生について再考する必要について語っている。自由、それがこの作品の唯一の主題だ。この作品で、ルノワールは、これまでになかったほど、自らの言説の核心に触れている。
ジャン・ドゥーシェ