zames_makiのブログ

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ハナコサン (ハナ子さん) (1943)

(71分・35mm・白黒)
'43(東宝)(原)杉浦幸雄(脚)山崎謙太、小森靜男(撮)木塚誠一(美)北川惠司(音)鈴木靜一(出)轟夕起子灰田勝彦、郄峰秀子、山本禮三郎、英百合子、山根壽子、岸井明、嵯峨善兵、伊達里子

轟夕起子を想定して描かれた同名漫画の映画化。戦時プロパガンダとしての要素が随所に認められるが、バスビー・バークレーを思わせるダンス・シーンや、出演者が軍歌や戦時歌謡をミュージカル・ナンバーのように楽しく歌うシーンにマキノの才能が光る。検閲前のフィルムには五郎(灰田)の出征にハナ子(轟)が涙を流すカットがあった。主題歌は「お使いは自転車に乗って」。
12 1/9(水) 7:00pm 2/1(金) 1:00pm


=「グランドショー1946」は1946年という日本映画が戦後再スタートの困難な時期に作られています。 人、物資、資金、GHQの指導と検閲という困難な中のかなり無理をした作品でしょう。 この年に製作された映画で今もっとも有名なのは「わが青春に悔いなし」「大曾根家の朝」であり、 こうした映画を製作することが要求されており、一方チャンバラ映画は禁止されている訳です。

その中で娯楽の手っ取り早い方法が、アメリカ人も理解しやすいミュージカルであったようです。 そして同じことをマキノは戦前も戦時中もやっており、その一例がNFCの今回の企画でも上映された「ハナコさん」です。 この「ハナコさん」がかなり拙速な作りのミュージカル形式の娯楽映画であるのはまったく同じですね。

見ていない方は「ハナコさん」が娯楽映画であるから、すなわち逃避であり戦争への嫌悪感を示すものと今の観客はとりがちですがこれは間違いです。確かに一般的に戦時中に娯楽映画を作る事の意味とは、 逃避=エスケープととられがちですが、戦争状況の変化はこの時期すでに映画に娯楽を要求していたようです。 つまりこの時期には戦況の悪化で、国民への戦意高揚、戦争(聖戦)完遂への意識づけよりも、 少なくなった娯楽の提供と、それですっきりリフレッシュしてもらい、「がんばって戦いぬきましょう」という意味の、戦争協力映画となっています。

これが戦争協力映画であることは、実際に映画を見れば実感できることでミュージカルの合間に挿入されるエピソードは全て戦争への協力を求めています。即ち奢侈品への消費ではなく貯蓄(郵便貯金を通して国費へ流れる)であり、隣組の賞賛であり、防火訓練の励行などです。