zames_makiのブログ

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戦慄の七日間(1950)イギリスの原爆映画「太陽を盗んだ男」の先行作

原題:SEVEN DAYS TO NOON
メディア:映画 上映時間:93分 製作:ロンドンフィルム・イギリス 
ベニス映画祭に出品されている
Italy:September 1950 (Venice Film Festival)
UK:14 September 1950 (London) (premiere)
UK 30 October 1950
USA 18 December 1950
日本配給:東和 日本公開:1954/03/13
=日本版DVDあり

監督:ロイ・ボールティング、ジョン・ボールティング 製作:ジョン・ボールティング 原案:ポール・デーン、ジェームズ・バーナード 脚本:ロイ・ボールティング、フランク・ハーヴェイ・Jr 音楽:ジョン・アディソン
出演:
バリー・ジョーンズ
オリーヴ・スローン
アンドレ・モレル
シェイラ・マナハン
ヒュー・クロス
ジョーン・ヒクソン
ジョス・アックランド

メモ・感想

イギリスはマンハッタン計画に参加、1945年の時点で政府・軍には原爆にかんする知識はある。だが自国の原爆保有は1952年以降。1950年のこの映画公開時には「原爆を持つ事はできるがまだ持っていない」状態にある。映画では核兵器を持つことの是非を開発科学者がイギリス社会に問おうとするが、政府が鼻から認めず秘密裏に圧殺しようとするのが前提で物語が構成されている。最終的に政府は新型爆弾=原爆の形で公表するが、これに対するイギリス社会の反応は描かれてらず、映画製作者たちはそこ(核兵器所有の是非、それへの議論喚起)まで踏み込まないものになっている。映画はロンドンフィルムという比較的小規模なプロダクションで製作されているが、ロンドン中心部からの全員退避という多くのエキストラを使う映像を製作しており、けしてアイデアだけのCクラス映画ではない。核兵器を盗み都市で爆発すると政府を脅迫する点で「太陽を盗んだ男」とまったく同じアイデアであり、核兵器の意味を問い、真面目に都市住民の避難を描いており、長谷川の映画よりずっとまともな原爆にかんする映画である。映画は基本的に犯人を捜すサスペンスであり、原爆被害の大きさ、核戦争による人類破滅などは言及されていない、製作者の意図は、娯楽映画にあるのか政治的な注意喚起にあるかは不明だが、ベニス映画祭に出品されている点で単なる娯楽映画にとどまらないとの見方であったのではないか。細部はともかくその設定自体で映画の持つ政治的意味あいで映画史上大きく取り上げられるべき映画だろう。




イギリスの原爆保有は1952年

https://www.y-history.net/appendix/wh1602-028_2.html

イギリスは1952年に原爆実験を行い、米ソに続く第三の核保有国となった。57年には水爆実験を実施した。

 核兵器アメリカ独占体制が、1949年9月のソ連の原爆実験成功によって崩れたのを受け、イギリスも核兵器の開発に着手、アメリカの技術支援を受け、1952年10月にオーストラリア近海のモンテ=ベロ島で実験を行った。当時のイギリスは、前年末の総選挙でアトリー労働党が敗北し、チャーチル保守党内閣が成立していた。また同年12月にはエリザベス2世が新国王として即位している。この年は朝鮮戦争の最中であり、東西冷戦が極度に緊張が強まっていた。
 イギリスは米ソに続く第三の核保有国となって核兵器開発競争に加わり、さらに55年に水素爆弾製造に着手ることを表明し、イーデン内閣の1957年5月、南太平洋上において水爆実験に成功した。しかし、イギリスのような小さな島国で、しかも戦後経済復興の厳しい状況にある中での核兵器開発には労働党をはじめ反対の声も強く、民間にも核兵器反対運動が根強かった。またイギリスを代表する数理哲学者バートランドラッセルも世界的な反核運動の先頭に立っていた。

イギリスの核兵器開発経緯

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html

1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される
1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加
1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進
1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功
1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功
2002年 2.14. アメリカと共同で臨界前核実験を実施