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生きものの記録(1955)核戦争反対映画

メディア:映画 113分 製作・配給:東宝 公開:1955/11/22
監督:黒澤明 脚本:橋本忍小国英雄黒澤明 音楽:早坂文雄(遺作と明記)
出演:
三船敏郎(中島喜一)主人公、鋳物工場を経営、原爆を恐れブラジルへの一族での移民を計る、反対され裁判所の調停に、失敗し、最後は発狂する
三好栄子(喜一の妻・とよ)弱い、自分の意見なし、喜一につきそうのみ
田豊(中島一郎・長男)鋳物工場を仕切る、気が弱く何も決められない、移住には反対、
千石規子(一郎の妻・君江)黙って世話だけをする
千秋実(中島二郎・次男)拝金主義者、金の事しか考えず移民に強く反対する、鋳物工場で働く
青山京子(中島すえ・次女)10代で若い、皮肉屋、最後は喜一に従う、鋳物工場に住む
東郷晴子(山崎よし・長女)拝金主義者、二郎と同じ、結婚し工場外に住む
清水将夫(山崎隆雄・よしの夫)拝金主義者、小ずるい悪人

根岸明美(栗林朝子・喜一の妾)若い妾で喜一の幼い子がいる、親切、苦しい時は喜一を助ける、移住には反対
田吉二郎(朝子の父)朝子と同居したかる遊び人、金を使い込む、理屈をつけ移住に反対
太刀川洋一(須山良一・喜一の妾の息子)10代の若者、喜一の金にしか関心はない、妾は既に死んでいる、アパートに一人住まい
米村佐保子(妙子・喜一の妾)古い妾、自分の飲食店の経営しか関心ない
宮田芳子(妙子の子)自分にしか関心ない

志村喬家庭裁判所調停委員・原田)歯科医、調停で喜一を準禁治産者にする、原爆への恐怖・逃避に理解を示す
小川虎之助(家庭裁判所調停委員・堀)弁護士、原爆への恐怖を論外とし準禁治産者にする
加藤和夫(原田の息子・進)歯科医、原爆に無関心

東野英治郎(ブラジルの老人)大農園経営する成功者、喜一と物物交換で移住を助けようとする、ブラジルから日本への移住をしたい、日本に来日し喜一と土地を探すなど相談する
藤原釜足(岡本)ブラジルに詳しい仲介人
左卜全(地主)ブラジル老人に土地を売ろうとする
中村伸郎精神科医)喜一が入院する精神病院の医師

感想

核戦争への反対を提起する映画、非常に力強い物語と演出で訴えるもの、だが、解決策を示せなかったのが興行成績のよくない原因だろう、上の下。
 1955年当時アメリカとソ連の核戦争(第三次世界大戦)は現実化しており、映画内の描かれる最初の解決策:地下シェルターは現実的な回答だが、監督は戦争反対・核兵器反対を強く訴えるため、あえて「この地球上には逃げ場はない、なぜ皆で反対しないのか?」という問いの形で提示した、だがそうした形而上的な映画は、観客や評論家の受けはよくなかった。1955年当時、第五福竜丸事件を発端に日本では核兵器反対・戦争反対の世論は「大きな力」を持っており、普通の「戦争に反対しよう、主張しよう」というハッピーエンドの結末の映画であったら、興行成績はもっとよく評論家の受けもよかっただろう。
 興行成績の悪さから、当時もそして後代でもこの映画は失敗作と受け取られているが、これだけ「現実的」脅威に、現実的な対応を求めた、政治的な映画(ある種のプロパガンダ映画)は、チャップリンの「独裁者」以外ないと思われる。
 映画は、鋳物工場経営者とそれに寄生する子供達の財産争いの形で観客を引っ張る、子供達は見かけは大人だが全員経済的に父親に寄生しており、意図的に反対者・子供として描かれている。父親の提示した解決策1地下シェルター2ブラジルへの移住は、1955年当時核戦争に対し、現実的実効的な解決策である、1955年ではまだ核兵器の大量生産は行われておらず、キューバ危機もおきておらず、相互確証破壊の如き、「核戦争による人類全体の破滅」は必ずしも現実的ではない(事実、朝鮮戦争では核兵器の使用が検討された、核戦争は部分的に収まり放射能雲の移動などなければ第三国には関係ないという見方もあっただろう)。だが監督は、映画最終段階では、あえてブラジル移住は解決策にならない、全人類の破滅だと、子供に主張させており、形而上的に「戦争反対・核兵器反対」を意図したのであろう。しかし後代の戦争や核兵器に疎い映画評論家は、核戦争=人類破滅のアメリカ映画に影響を受け、父親の解決策の現実性を無視してきた。再評価が必要だろう。
 映画は、核戦争反対のメッセージを目的=オチに、財産争いの形で対立構造=葛藤を作り観客に訴える構造になっている。そこには仲介者や中立的立場の者(志村喬や根岸明美がそれにあたる)がいるが、その存在は小さく、核戦争に関する説明や議論がほとんどない、これが映画をわかりづらくしている。中盤で1なぜそんなに危険なのか(核戦争の放射能の危険、戦略爆撃機による核爆弾の目標の分布など、この時代ICBMは実用化していない)、なぜそんなに対策を急ぐのか(アメリカの原爆使用の現実性、朝鮮戦争での経緯、ソ連の開発状況、戦争指導者の核兵器に対する惚れ込み度合い)、その対策で何ができるのか(米ソの戦争での日本での汚染推測、太平洋核実験での日本の汚染状況、南米など遠隔地の戦争事態での状況推測)、あるいはなぜ子供たちは危険を感じないのか(1個人でできる事と政府ができる事の差、個人の運動が政府を動かす可能性、日本政府が米ソに影響を与える可能性、国連の可能性、戦争を避ける上で政治指導者に何が必要か、それに対し日本人が何ができるか)?などの諸論点に対しての具体的な=映画的な=わかりやすく映像的なエピソード、といった物について、おそらく黒澤明の率いる脚本家チームは検討はしただろうが、監督らはあえて提示を拒否したようだ。その結果序盤で示された対立は終盤までそのままで、父親が自分の工場を火事で焼く終盤まで、上記の内容はまったく進化しない。
 むしろ監督らが示したかったのは、核戦争は人ごとではない「地球上にいる皆の問題である」という基本的な問題性質の確認だったように見える。中盤の展開より、終盤の火事より後のエピソードが非常に重々しく演出されており、父戸やが言う「早く地球から逃げろ」という(逆説的・風刺的)メッセージが映画を決定している。
 演出は「七人の侍」に似て、大変ダイナミックで印象的だ、雨がざばざばと振り、火事の場面では格子窓ごしにやりとりが行われるのは「七人の侍」ままだ。主人公は印象深く演出されるが、子供たちには自主性・自分の考えのない事が強調され、テーマを深めるには寄与しなかった。

評価まとめ

  • ダイナミックでよく演出された優れたメッセージ映画、だが解決策が提示されず観客の不満を招いた
  • 皆で核シェルターを作ろう、又は核戦争反対デモをしよう、という普通のメッセージ映画には黒澤はしなかった、より大きな問題提起「核兵器は人類全体の問題だ」をした先見性あるもの
  • 監督個人の意図で強いメッセージ性を帯びた商業映画・劇映画の例として「独裁者」に並ぶ重要性のあるもの