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純愛物語(1957東映)戦災孤児と原爆による悲劇

133分 製作・配給:東映 公開:1957/10/15
監督:今井正 脚本:水木洋子 音楽:大木正夫

出演:
江原真二郎(早川貫太郎)不良、16歳程度、上野でミツ子と知り合う、少年院入りになるが脱走しミツ子に会いに行く、監督官の面子を立てて少年院にもどり、退所後観察下でクッキー工場で働きつつミツ子に会う、金の為再び盗みに走る羽目になる
中原ひとみ(宮内ミツ子)不良、16歳、上野の山で売春、少年院入りになるが体の不調を訴える、貧血と診断され脱走し、貫太郎を待つ、不調不良は激しくなり、木賃宿で寝たきりになる、貫太郎と将来を約束し、たった1日のピクニックに行くが、死ぬ
楠田薫(小島教官)少年院でのミツ子の担当官、親切で親身に話をし世話をする、ミツ子に騙され殴られる、ミツ子の不調を心配し外部の瀬川医院に連れて行く、脱走後も心配し見に来る。戦争中は北京で恋人がいたが、戦争で離れ離れになり失う悲しい過去を追ったオールドミス?
岡田英次(下山観察官)貫太郎を11歳の時から監視
木村功(医師)瀬川病院の親切な医師、ミツ子の原爆症の可能性を指摘し受診を勧める
嵯峨善兵(中華そば屋の主人)上野のラーメン屋主人、不良のたまり場になっている
長岡輝子(少年院・園長)ミツ子の聖愛女子学園の園長、宿舎は鍵がかかっており入院者は拘束されている。ミツ子の体調不調は認めない、会いに来た貫太郎を追い返す
加藤嘉(鈴木教官)聖愛女子学園の厳しい教官
宮口精二(判事)ミツ子に判決を言い渡す
東野英治郎(屑屋の爺さん)木賃宿でミツ子に親切にする
北沢彪(日赤病院医師)原爆症集団検診でミツ子を診る医師、詳しい事は何も言わない

感想

戦争孤児の不幸な戦後と原爆病による死をテーマにした悲劇、上野の不良が主人公で戦後直後の戦災孤児の不幸を思わせる映像・行動が物語の背景になっている、一方では上野のデパートでの裕福な買い物も描かれており、意識的に高度成長期に戦争の悲劇を訴えている、主人公は戦災孤児原爆症による死、少年犯罪者としての居場所のなさ、被曝者のスティグマ(被曝者と公言できない)、貧困者としての苦しみなど、幾重もの不幸を抱えて、その上で死ぬのであり素直に戦争経験に共感できる1957年の観客に訴える所は大きかっただろう、物語はさりげなく様々な不幸を描いており、今では控えめの演出でわかりにくいが当時は十分それが理解され涙を誘ったと思われる、内容豊富で重大なテーマ扱うもの、上の中。
 2018年の観客では主人公らの経験やしていることは理解しにくい、主人公らは未成年の不良で、犯罪者であり、自分の口からは苦境を何も語れない。両主人公は一度も両親の不在や親戚の庇護の不在を訴えず、まるで成人のようだが未成年(16歳)である。貫太郎は「わかってください」という台詞を何回も口にするが、これは不良の正当化なのか、戦災孤児への理解要求なのか不明だ(1957年当時の流行語かもしれず、調査が必要)
 そうした背景を2018年では理解しずらい。冒頭主人公らは上野で犯罪(男は窃盗、女は売春)をしているし家もない、元より親はいない、この設定は戦後12年たった1957年では多少不自然に思える。だが女は昭和14年生まれで16歳の設定でありそういう人もいたかもしれない。
 女(ミツ子)は昭和14年生まれ、父は軍人だが2歳で戦死、母は保険の外向をしてたが幼少期に行方不明になり、祖母に預けられる、しかし昭和20年(ミツ子は6歳)祖母は原爆投下3日目の広島にミツ子を伴って入り、脱毛や紫斑を示して死亡。おじさんの家に預けられるが、叔母さんは医師が診断できぬ要因不明の病気で体調が悪く(原爆症か?)、おじさんにうどん屋でこき使われ、虐待される、と過去が語られる。上野の山には長く居た様子であり、この昭和20年頃に上野にきた戦災孤児と設定されているのだろう。戦災孤児が親戚に預けられ食料事情の厳しさから、虐待され逃亡し浮浪児になるというのは一般的な経緯であり珍しくない。
 男(貫太郎)の過去は詳しく語られないが、上野の中華料理屋の主人は戦後に幼い(小さい)貫太郎に助けられたと言っており、やはり上野の山にいたのであろう。1957年に2年前の出来事として語られており、終戦時に6才だった戦災孤児の、高度成長期での16歳の物語になっている。
 ミツ子は貧血、めまい、物忘れなどの原爆症の症状を示すが、少年院でも世間でも理解はまったくない。映画内では原爆症(原爆による病)の可能性を知った日赤病院による集団検査(東京で)の様子が描かれており、子供から大人の多くの受診者がくるが、医師は具体的な原因や見通しも治療もを、ミツ子も含め患者に何も言わない。ミツ子はそうして死の恐怖を抱え、自分の様子もわからないまま死を迎えるのであり、大変な恐怖である。社会の側のスティグマもあり、ミツ子は原爆と言ってはいけない、受診に行くと言うだけで首になる、と言うほど疎外・偏見は大きい。
 題名と後世への影響から恋愛悲劇のイメージをもっていたが、物語の大半は戦災孤児に起因する不良の様子と更正過程、原爆症の不安と死、に当てられており、戦争被害者の戦後の苦しみが映画の大部分である。そうした戦災孤児・不良・原爆症の重なった不幸の上に、ほんの少しだけ恋愛の花が咲くのであり、物語の重心は恋愛より主人公への共感(としれが裏切られる事による涙)にあろう。
 主人公2人は大人に見え、やや違和感があるが、行動や考え方はそのままであり、ずれは1957年では映画的な許容範囲内であろう。だが2018年では背景が理解出来ないと、単に大人の不良が自分勝手をしているように見えるかも知れない。中原ひとみは不良というには素直で可憐で涙を誘う、江原真二郎の直情さもその通りであろう。

あらすじ

 映画冒頭は原爆ドームの絵、字幕背景は「原爆の図」のデッサンと思われる。冒頭上野地下道に寝泊まりする浮浪者の姿が描かかれ、ついで上野の山で別々に野宿する貫太郎とミツ子が登場する。
 上野の山で不良をしていて少年院に入っていた貫太郎は退所し、上野の別の不良仲間に入る事になる。その夜ちょうど領域を侵して商売(売春)をしたミツ子を集団で強姦する場面に居合わせる。上野アメ横の廃墟の家でミツ子は襲ってきた不良を二階のベランダからつきおとし逃げる、逃げる途中でミツ子に優しかった貫太郎と一緒になり、上野の神社の手水舎で貫太郎のシャツを洗ってやる。2人はアベック(2人1組のスリ)をする事になり上野のデパート(松坂屋)でスリをするが刑事に捕まってしまう。
 両者はそれぞれ少年院送りになる、貫太郎は移送の途中脱走する。ミツ子は少年院で小島教官に親切にされるが、仮病で騙して殴り脱走を図るが失敗する、脱走してきた貫太郎はミツ子の少年院を訪問、園長に会うのを禁じられるがドサクサで鉄格子の中のミツ子と会い、再会を約す。ミツ子は体が弱く作業を休むと「ばっくれている」(ずる休み)と仲間から批判される、園内の医師はなんでもないと言い、小島教官も認めないのでミツ子はますますふて腐れる。しかし案じた小島教官が外部の医者(瀬川病院)に見せると原爆病の可能性を指摘される。絶望したミツ子は脱走する。
 自発的に少年院にもどった貫太郎は仮退所になりクッキー工場で働く、ある日ミツ子からの手紙で会いに行くと、ミツ子はラーメンやでのろいと言われこき使われているが、貫太郎を待っていた。貫太郎とミツ子は将来は自動車修理工場をやってまともに暮らす約束をするが、ミツ子の体調は悪く、日赤病院の集団検診でも原爆症で貧血であっても何もできないのを知る。被曝者と知られたミツ子はラーメン屋を首になり、木賃宿で寝ているしかなくなり体調も金も逼迫する。
 会いに行った貫太郎は金の為、盗みをし仲間と喧嘩をし更に仲間の金を使い込む、そうして得た金で、2人はたった1日のピクニックを楽しむ。その翌日ミツ子は体調が急変し、知った小島教官に瀬川病院に入院するが体調は悪化死の床につく。貫太郎は知らせを受けるが大事な自動車修理工場の面接の為会いに行くことができず、会いに行った時は既に死体は解剖に回された後だった。