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血と砂(1965)明るい戦争追悼

映画 132分 製作・配給:東宝 公開:1965/09/18
監督:岡本喜八 製作:田中友幸 原作:伊藤桂一 脚本:佐治乾、岡本喜八 音楽:佐藤勝
出演:
三船敏郎(小杉曹長)正義感にあふれ上官をなぐってしまう、はみ出し下士官、少年兵を率いて戦う、戦死
佐藤允(犬山一等兵・出刃)炊事兵の古参兵、7年、上官にたてつき少年兵と共に前線へ
伊藤雄之助(持田一等兵・葬儀屋)葬式しか関心のない兵、上官にたてつき少年兵と共に前線へ
天本英世(志賀一等兵・営倉)殺しあいを哲学的に否定する兵、ずっと営倉入りだったが、少年兵と共に前線へ
団令子(お春こと金春芳、慰安婦)小杉を慕う慰安婦、前線へ行き少年兵を寝かしてやる
仲代達矢(佐久間大尉)大隊長、小杉と少年兵を前線へやる
満田新二(小原見習士官)前線指揮官、逃亡兵を隠し敵前逃亡に問われ銃殺になる、実は小杉の弟
大沢健三郎(少年兵・原田二等兵)指揮、少年兵たちのまとめ役、最初に戦死
伊東昭夫(渡二等兵トロンボーン、二番目に戦死
樋浦勉(吉野二等兵)トランペット、最後まで吹き続ける
仲村紘一(植木二等兵クラリネット
西川明(坪井二等兵)フルート

感想

独立愚連隊シリーズとほぼ同じような設定、演出ながら、少年兵の死のむなしさに焦点をあてた戦争映画、全編音楽が前面に出て賑やかに楽しい雰囲気だが、全員が戦死する悲しい物語であり、追悼の意味が込められていると思われる。だが現実にありえない設定での無理にでも明るく見せる演出は無理がある、中の下。
 中国戦線の前線の村の奪還と守備に向かった少年兵たちが全員戦死するまでを通じ、戦争のむなしさ、少年兵のやり場のない悲しみを描き、追悼の意味を込めた作品。少年兵は音楽学校あがりで戦闘訓練受けていない集団で陽気なジャズばかり演奏している集団という突飛な設定である。これを正義感にあふれ上官をなぐり軍隊をはみ出した総長が、他の囚人兵と共に、村の奪還&守備作戦を行うという設定で、非現実的だが物語はテンポのよい演出で矛盾など感じさせないまま進む。度重なる中国軍の攻撃でついには全員戦死するが、それは終戦の日、8月15日で、戦死の無意味さ・むなしさをより強調する。
 同行する囚人兵も哲学的に死を否定したり、戦闘より丁寧な葬儀ばかり熱心な兵と戦争に否定的だ。
 独立愚連隊シリーズとよく似た設定と登場人物だが、何度も戦闘があり、多くの中国兵の死体、全ての少年兵の死の様子が描かれるのが決定的に異なる。そこに至る経緯は、明るく陽気な雰囲気、主人公に都合のよい非現実的な展開などは同じである。
 制作者の意図は日本兵の追悼にあると思われるが、陽気さと何回もの中国兵の敗戦をそのまま受け取り、陽気な娯楽的戦争映画と受け取ってもおかしくない、最後が8月15日で終わるのもそれを促進し、多くの出来事があったが結局済んだ過去の事だ、真剣に考える事ではない、とのメッセージとも受け取られかねないだろう。そうした観点で言えば、これも戦争の娯楽化、娯楽のための戦争映画であると言えよう。少なくとも、少年兵の追悼をわざわざこうした無理な荒唐無稽な非現実的な設定で描く必然性はなく、独立愚連隊シリーズがあり、それが観客に受けたという背景がなければこの映画は製作されなかったと思われる。その点でもこれが独立愚連隊シリーズの番外編であっても、シリーズの一つと考えるべきであろう。