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賛否両論「風立ちぬ」を毎日新聞が切る〜なぜ宮崎駿が馬鹿をしたか

酷くつまらないにもかかわらず100億円の興行収入が確定したアニメ「風立ちぬ」を2013年08月21日の毎日新聞がばっさり切っている。これは素晴らしい記事だった。(最下段参照)
 この記事が重要なのは「ジブリだから面白いはず」という、1年に1度しか映画を見ない普通人の思い込みをかなり多くの知識人がばっさり否定していることだ。この点はとても大事で、雑誌・インターネットには100億円の興収が見込めるこの映画に付け込んで稼ごうという、ゴマすり批評しか見当たらないからだ。その典型がキネマ旬報の「風立ちぬ」特集での14人のレビューで賞賛一色だったのには本当に驚いた。キネマ旬報はかつては戦争映画の分析と批判に強い熱意を持っていたのに、今や斜陽映画産業の提灯持ちに邁進しているのは本当に嘆かわしい事だ。 

多くの知識人が映画「風立ちぬ」を批判している

  • 東浩紀「戦争産業に従事したり恋人が結核で苦しんでいたりするのに主人公の葛藤がなく、共感しがたい」
  • 中森明夫「主人公の手前勝手なナルシシズム」とバッサリ。
  • 藤原帰一「戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する幼稚な姿」
  • 韓国でも「戦争を美化している」と批判の声が上がった
  • 渡辺真由子「宮崎監督のエゴの押しつけという印象を持ち、違和感と後味の悪さが残りました」「銃や兵器は権力の象徴、破壊や暴力をもたらすものです。二郎はそんな戦闘機の開発に夢を見る。それを描くことに反対ではありませんが、二郎の苦悩を描ききれていないようで疑問を感じます」
  • 鈴木敏夫「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。宮崎駿は矛盾の人である」
  • 岡田斗司夫「「つまり宮崎監督も二郎同様、ピラミッドのない世界はイヤだ、と言っている」「ピラミッドとは何か、美しさの象徴です。ただし、それは権力者が貧しい民衆から収奪して生み出したもの」

なぜ宮崎駿はこんな馬鹿な作品を作ったのか?

 さて毎日新聞記事は、宮崎駿絶賛の嵐の中、映画を見る目のない一般人からの新聞への逆批判を招かぬよううまくまとめ、読者に考えさせるようできている。だが、事実を並べればアニメ「風立ちぬ」は、兵器オタク宮崎駿が、自分で作れる映画のネタがないため、禁断の戦争兵器ネタで映画をつくり、そこで本性の「兵器大好き・戦争なんか知らない」という幼児的な映画を作ったと見るべきだろう。ここで宮崎駿が少しだけまともなのは、その腐ったテーマを上等な語り口で隠さず、露骨に観客に見せている所だろう。「自分には戦争批判はできない、したいなら観客自身がこの映画を通して批判すべきだ」というのが宮崎駿の本心のように見える。 
 以下参考事実の列挙による宮崎駿がなぜ馬鹿をしたかの経緯

  • 宮崎駿は以前から極端な兵器オタクであり、戦車の写真どころか、寸法などの仕様表を見るだけで嬉しくてニタニタしてしまうような一種異常な人間である。これは雑誌モデルグラフィックスの記事中で告白している。
  • 宮崎は兵器(飛行機)をネタに映画を作ることを自ら禁じていた。理由はそれが戦争礼賛に結びつく事を知っていたからと思われる。これは「紅の豚」公開後、旧ユーゴの内戦が起きた際に、「アドリア海(「紅の豚」の舞台)でまた戦争が起きると知っていたらあの映画を作る事はなかったと」、語っていた事からわかる。
  • その一方宮崎は模型雑誌モデルグラフィックス(兵器は模型の大きなテーマだ)に大好きな兵器ネタの短編漫画を連載し続け、その中にはいかにも映画になりそうな面白いお話を含んだものもあった。宮崎が才能枯渇による監督引退をほのめかす中で、周囲からこの漫画をネタにアニメ映画を作ってくれという要求や彼自身の欲求が高まっていたと十分推測できる。何せ宮崎駿がアニメを作れば100億円という巨大な収入があるのだから、関係者がこれを要求するのは商業主義的には批判できない。
  • 今回の映画「風立ちぬ」製作の契機はジブリプロデューサー鈴木敏夫からの要求であり、鈴木の真意はおそらくそろそろ兵器オタクを卒業して、兵器(飛行機)を描きながらもきちんとした映画(つまり日本人にとっての戦争の意味を正面から伝えるもの)を製作しようとしたと推測できる。宮崎駿を尊敬する周囲の人間から考えれば宮崎にそれを要求するのは至極自然だろう。
  • にもかかわらずアニメ「風立ちぬ」は兵器オタクの夢と言い訳、すなわち「兵器は好き、戦争の事なんか知らない」、を露骨に描いた映画になった。同時にここでは、戦争は意図的に徹底的に消去され、飛行機だけが描かれたためストーリー的にひどく単純なものとなり、ただ主人公=宮崎駿の夢の羅列のような物語になった。その一方、岡田斗司夫が指摘するように、「戦争は本当はいけない事なんだ、堀越二郎はいけない事をしている」という暗喩がちりばめられてもいる。
  • 暗喩の例1:軽井沢のホテルで二郎と同席したドイツ人は「日本人みんな戦争忘れている」とささやく
  • 暗喩の例2:二郎は特高警察(CIAの如き存在)に検挙されそうになるが会社に助けられる、その時会社(上司)は「お前に利用価値がある限りは助ける」と言う。つまり俺たちは皆”悪”であると匂わせている。
  • 暗喩の例3:この映画には最大の売りであるはずの零戦が登場しない、これを「何かおかしい」「何かが禁じられている」と感じるのが自然である。つまり意図的に映画に違和感を感じるよう宮崎駿は仕組んでいると推測される。
  • 映画公開直前にジブリは彼らの雑誌「熱風」を書店で無料配布、売り切れるとWEB上で公開した、そこには「憲法九条改悪絶対反対」という宮崎らのメッセージが書かれていた。だが宮崎のその主張に論理性は全くなく、変えちゃいけないから変えちゃ駄目といった幼児的なものだった。
  • 映画公開時のインタビューで鈴木敏夫プロデューサーは「作品には批判があるのが自然で、この映画に批判があっても驚かない」と述べている。鈴木敏夫宮崎駿はこの映画が日本人から批判的に受け止められるような作品だと思っているのは確実である。
  • 上記経緯を合わせれば、映画「風立ちぬ」は宮崎駿がネタ切れのため、鈴木敏夫プロデューサーからの圧力に勝てず、自分では禁じていた兵器ネタを、イヤイヤ映画化したと考えるべきだろう。だが作品内容に大きな決定力を持つ宮崎は、兵器オタクのわがままを通し、鈴木プロデューサーが期待した戦争の様相や意味、兵器と戦争の関係、兵器設計者の戦争責任などを露骨に削除し、「さあこれで文句を言いたいなら言ってみやがれ」と開き直ったのであろう。しかしながら矛盾の人宮崎駿は非論理的に戦争反対であるので、むしろ宮崎駿こそが、映画「風立ちぬ」の戦争への態度について日本社会からの厳しい批判を待ち望んでいるのではないだろうか?

特集ワイド面・映画:賛否両論「風立ちぬ」 「感動」×「違和感」 キーワードは「ピラミッド」(毎日新聞 2013年08月21日 東京夕刊)

http://mainichi.jp/enta/news/20130821dde012200009000c.html

 「感動した」「よく分からない」??。スタジオジブリ宮崎駿監督(72)最新作「風立ちぬ10+件」への評価が割れている。旧日本軍の戦闘機「ゼロ戦」を設計した故堀越二郎氏の青春をフィクションを交えて描き、7月20日の公開以来の観客動員数は450万人、4週間連続の1位と期待通りの大ヒット。にもかかわらず、である。この映画、どう見ればいいのだろうか。【吉井理記】

 物語は少年時代から「美しい飛行機」に憧れる二郎が三菱内燃機三菱重工の前身)に入社し、戦闘機の設計に打ち込む姿と、結核を病むヒロイン・菜穂子との出会いと別れを描く。折々に、イタリアの著名な飛行機設計士・カプローニと語り合う二郎の「夢」が挟み込まれる。

 私も見た。126分の上映時間が過ぎ、エンドマークが出る。沈黙。周囲の観客はささやきすら交わさず、おもむろに帰り支度を始める。

 そう、感想を言葉にしようにも、言葉にならないのだ。「宮崎監督は何を訴えたかったのだろう」。素朴な疑問がいつまでも消えない。

 作家の東浩紀さん(42)はツイッターで「戦争産業に従事したり恋人が結核で苦しんでいたりするのに主人公の葛藤がなく、共感しがたい」とつぶやき、コラムニストの中森明夫さん(53)も「主人公の手前勝手なナルシシズム」とバッサリ。政治学者の藤原帰一さん(57)は本紙映画評で「戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する姿」に違和感を示した。激しい戦闘場面がないことから、韓国でも「戦争を美化している」と批判の声が上がった。

 鈴木敏夫プロデューサー(65)がパンフレットに「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い。宮崎駿は矛盾の人である」と書いた通り、宮崎監督は「兵器オタク」「飛行機オタク」でもある。メディアジャーナリストの渡辺真由子さん(38)は「宮崎監督のエゴの押しつけという印象を持ち、違和感と後味の悪さが残りました」と辛辣(しんらつ)だ。「戦争を肯定する映画ではありませんが」と前置きしつつも「銃や兵器は権力の象徴、破壊や暴力をもたらすものです。二郎はそんな戦闘機の開発に夢を見る。それを描くことに反対ではありませんが、二郎の苦悩を描ききれていないようで疑問を感じます」と手厳しい。
 
堀辰雄の小説「風立ちぬ10+件」をベースにした二郎・菜穂子の恋愛の描かれ方にも疑問を呈する。「戦闘機開発に夢中になる二郎を菜穂子が命を削って支えたような描かれ方になっている。女性に犠牲を強いることが美徳なのか。宮崎アニメとしては珍しく男が主人公の映画なので期待していたのですが……」

 確かに、観客が困惑する原因の一つには「戦争をテーマにした映画」という先入観があるようだ。ジブリ発行の月刊誌「熱風」7月号の中で、宮崎監督は作家、半藤一利さんの著書「昭和史」に触れ「読めば読むほど日本はひどいことやってる」と日本の戦争を批判し、憲法9条の改正反対を訴えている。だが映画では、そうしたメッセージは明確に描かれない。「そもそも思想とかメッセージ性を求める映画ではないんですよ」と断じるのは映画評論家の大高宏雄さん(58)だ。「『熱風』に書かれたことは宮崎さんの持論だが、映画を見る限り、それをこの作品の中で訴えようとしたとは思えない。改憲論議をも映画に巻き込むジブリの宣伝戦略の一環なのかもしれませんが」とシビアな見方だ。

 「戦争を描いたり反戦を訴えたりする映画ではないですね」と話すのは「宮崎駿の<世界>」などの著書で知られる文化評論家、切通理作さん(49)だ。

 二郎は一技術者として軍と軍需産業の要求通りの戦闘機を造る。全体の意思決定には関われない。その二郎に切通さんは今の若者の姿を重ね合わせるのだ。「就職難で、例えば大企業に入ることは難しいし、大きな仕事を任せられることもない。限定された断片的な役割しか与えられない人が大半。国策の歯車となったあの時代の人たちと同じです。それでも人は恋愛もするし、生きていかなければならない。私は、そう訴えかけられましたね」

 そしてこう続ける。「他のアニメや映画では戦闘場面がてんこ盛りなのに、製作者がインタビューで『でも戦争は反対』と語ることが多い。でもしょせん、それはむなしい自己満足、偽善に過ぎないという思いが宮崎監督にはあると思う。だから戦争の残酷さや主人公の戦争への考え方にも踏み込まなかった。もし戦争を描くのなら、別の作品で描くはずです」

 「君はピラミッドのある世界とない世界、どちらが好きかね?」。物語の中盤、二郎の「夢」で、カプローニが問う場面がある。二郎はそれには直接答えず、「僕は美しい飛行機が造りたい」とつぶやく。
 
評論家の岡田斗司夫さん(55)は、この問答を映画のキーポイントに挙げる。

 「二郎は美しいものにしか興味がない。発注した飛行機の部品が二郎に届く場面がありますが、実は部品を包んでいるのが日中戦争拡大を伝える新聞なんです。でも二郎は目もくれずガッと包みを開いて部品に見入る。こうした犠牲の上に部品が作られていることには思いをはせない。戦争の現実に関心がないんです。なぜならピラミッドのある世界を選んだから」

 ピラミッドとは何か。「美しさの象徴です。ただし、それは権力者が貧しい民衆から収奪して生み出したもの。逆にピラミッドのない世界は貧富の差も、犠牲もなく皆が仲良く暮らす世界ですが、そこからは美しいものは生まれない。そのどちらを選ぶか、というのがあの問いの意味です」

 岡田さんによると、こうした「思想」がにじむシーンは他にもあるという。「例えば序盤で二郎が近所の少年たちとけんかする場面。少年たちが醜く描かれ、セリフも何を言っているか分からない。彼らに興味がないからです」。とすると……。「つまり宮崎監督も二郎同様、ピラミッドのない世界はイヤだ、と言っているんですよ」

 何だかドライ、世間が抱く宮崎監督のイメージとかけ離れた「思想」ではないか。

 「そうでしょうか」と岡田さん。「我々も程度の差こそあれ二郎や宮崎監督と同じです。例えば恋愛にはまって生活を顧みない。野球に打ち込んで成績が下がる。何かに夢中になると何かを犠牲にして生きているじゃないですか。実にリアルな映画です」

 もう一度、映画を見た。いろんな指摘が当てはまるようでもあり、当てはまらないようでもある。実は宮崎監督、最初から観客の賛否両論を巻き起こすつもりで映画を作ったのではないかとすら思える。

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